【問】詩編49編8(7)節は神に対し人間は贖いの業を行えないと説きます。聖母は御子の贖いの業にどう関与しましたか?
【答】預言者たちが示した救い主の御受難の際の苛酷な定めを全て理解した上で、母となることを承諾し、三十年以上御子のお世話をし、御子及び御父と絶えず思いを一つにしました。
(注)別エントリー「試論:『神の小羊』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7514
(注)別エントリー「試論:『主の僕(しもべ)』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8849
(注)別エントリー「試論:『主の僕の忍耐』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6462
(注)別エントリー「試論:『神の小羊』=『主の僕』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
「救い主」が世を救われる方法に関しイザヤは、「小羊」(53章7節)つまり代価として御自分をささげ、「しもべ」(42章、49章以下等)として人々に仕えると預言し、主もマタイ20章28節でそれを宣言された。救い主の母となることを承諾した女性が「主のはしため」を称するのは象徴的である。
(注)別エントリー「試論:『しもべ』と『はしため』を140文字以内で」も参照のこと。
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