一コリント12章31節から13章でパウロは「最高の道」「もっと大きな賜物」として「愛」を強く勧めるが、ローマ13章10節で愛とは隣人に悪を行わないことであると断言する。主イエスもマタイ7章21節以下で隣人に悪を行ったか否かこそが「天の国」に入れるか否かを決めることを仰せになった。
(注)別エントリー「試論:『愛』と『愛の反対』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/12199
(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』愛の掟を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11291
(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』って?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11541
【追記】
「主の養父ヨセフこそ信仰者の理想像」と主張すると「聖書のどこに書いてある?」と異論が出るが、マタイ1章19節でヨセフはディカイオス(義人)と呼ばれ、ディカイオスは同25章の最後の審判では永遠の命(天国の福楽)を確約された者を指し、そして、隣人の困り事に親身になって応える人を指す。
(注)別エントリー「試論:『養父ヨセフこそ理想像』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11873