【問】主イエスのマタイ7章12節の仰せをパウロが「キリストの律法」と呼んだのは、なぜですか?
【答】なにより主イエス御自身が「律法(ノモス)」と定義され、最後の審判の際に基準とされる「法(ノモス)」(一ヨハネ3章4節)であり信仰とは何かについて迷った時に立ち戻るべき基準だからです。
【追記】
A.他人からしてもらいたいことを他人に行う(マタイ7章12節)。
B.他人からしてもらいたいことを他人に行わない。
C.他人からしてもらいたくないことを他人に行う。
D.他人からしてもらいたくないことを他人に行わない(トビト4章15節)。
「愛」はAとDであり「愛の反対」はBとCである。
(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』愛の掟を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11291
(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』って?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11541
【問】主イエスは御受難と御復活によって「新しい天・地・エルサレム」と「天上の体」への道を開かれました。信者はそれにどう答えるべきですか?
【答】キリストの律法「他の人からしてもらいたいことならなんでも、あなたの方から他の人にしなさい」を忠実に実行することが、「永遠の命」への道です。
ヨハネ福音書は「永遠の命」「信じる」を多用する。ただし「何をすれば永遠の命を得られるか」の具体例はマタイ25章「最後の審判」とルカ10章「善きサマリア人の話」の箇所にあり、ルカ10章27節で主イエスは、「信じる」こととは「心・精神・力・思いを尽くし愛する」ことだとお教えになった。
フィリピ1章24節でパウロは現世で生き続けることを「肉にとどまる」と表現する。
一コリント15章の通り、主なる神から「永遠の命(天国の福楽)」を確約された者は天国で
「天上の体」「霊の体」
と呼ばれる朽ちない体を受け生き続けるが、それは現世の
「地上の体」「肉の体」
と別の新しい体である。
「主の変容」とは、一コリント15章でパウロが言及する
「天上の体」(40節)
を主イエスが実際に三人の使徒へお示しになった意義深い出来事で、パウロは「天上の体」を
「朽ちないもの」(42節)
「輝かしいもの」「力強いもの」(43節)
「霊の体」(44節)
「天に属する者」(47節)
等と呼ぶ。
一コリント15章は、
《地上で生きる体》と《永遠の命を得て復活し天の国で生きる体》
とを、
「地上の体」と「天上の体」
「地上の命の体」と「霊の体」
等と表現する。
ガラテヤ5章は人間的な事柄を「肉」、神的な事柄を「霊」と表現し、
コロサイ1章22節「肉の体」とは「人間としての体」の意である。