試論:「神は人々に息を」の意味を140文字以内で

創世記2章7節「主なる神は人の鼻に命の息を吹き入れられた」イザヤ42章5節「神は天を創造してこれを広げ、地とそこに生ずるものを繰り広げ、その上に住む人々に息を、そこを歩く者に霊を与えられる」ヨハネ20章22節「イエスは弟子たちに息を吹きかけて『聖霊を受けなさい』と仰せになった」。

【追記】

【問】聖書はキリストを模範(ヨハネ13章15節等)と示すけど、全て真似する必要があるの?
【答】いいえ。倣うべきは「仕えられるのではなく、仕える」姿勢で、真似する必要のない事柄は例えば湖の上を歩く、唾で泥を作り目の見えない人を治す、聖霊を与えると称して息を吹きかけるなどの行為です。

復活された主イエスはヨハネ20章22節で「聖霊を受けなさい」と仰せになり、弟子たち(使徒たち)へ息を吹きかけられた。この仕草は新約聖書では唯一ここだけで見られ、聖霊降臨の予告として行われた。聖書には祝福や権威の行使の象徴として一般的な、手を置く仕草があるが、それとは意義が異なる。

(注)別エントリー「試論:聖霊の働きの徴を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4984

(注)別エントリー「試論:『使徒パウロ』の誕生を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9844

(注)別エントリー「聖霊の働きか否かを識別する」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/14194

主イエスはヨハネ20章22節で「聖霊を受けなさい」と仰せになって、弟子たちに息を吹きかけられた(創世記2章7節参照)。《人は神の口から出る全ての事柄で生きる》を示されるために、主はあえて息を吹きかける仕草を行われた。新約聖書には、弟子が同じ仕草を行う場面は一度たりとも登場しない。

(注)別エントリー「試論:『命の息』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/14285