ルカ23章40節以下で主の隣の十字架につけられた盗賊は最後に神への畏れを知り、自分の今の惨めな境遇は全て自業自得だが神には罪はなく神の御心に適う願いなら聞き入れられると確信し、自分の隣にいるのは神そのものであると信じて直接それを伝えた。彼の信仰告白に主は最大の幸福を御約束された。
(注)別エントリー「神に対する確信を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
ルカ23章42節で善き盗賊は、主イエス・キリストに属する民がいる場所を「あなたの御国」と呼んだ。そこを主御自身は続く43節で「楽園」と呼ばれた。主イエスは御受難と御復活との間に「新しい天・地・エルサレム」と呼ばれる場所を創造され、御自身と御自分の民の「復活の体」もまた創造された。
(注)別エントリー「試論:キリストの『バシレイア』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:新しい天・地・エルサレムを140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『王』と呼ばれる意味を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:人間の完成形(最終形態)を140文字以内で」も参照のこと。
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主イエスはルカ15章7節で「悔い改める必要のない九十九人の義人よりも、悔い改めている一人の罪人のことを天は大いに喜ぶ」と仰せになり、マタイ18章14節ではエゼキエル18章32節「わたしは誰の死も喜ばない」と同様に、天の御父は悪人の滅亡よりも悪人の回心を喜ばれることを再確認された。
(注)別エントリー「試論:『誰の死も喜ばれない神』を140文字以内で」も参照のこと。
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