【問】ヨハネ1章1節は《「言」(御子イエス)は「初め」(天地創造以前)から「神」(御父)とともに存在され、御子は御父と寸分違わぬ神だった》と解釈すべきとのことですが、他の箇所に同じ内容が書いてありますか?
【答】コロサイ1章15節「御子は『見えない神」』(御父)の姿(生き写し)」。
(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5844
(注)別エントリー「試論:『言(ことば)』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7250
【追記】
コロサイ1章17節「御子は、全てのものより先におられ」ヨハネ1章1節「初めに言があった」コロサイ1章16節「万物は御子によって、御子のために造られた」ヨハネ1章3節「万物は言によって成った。成ったもので、言によらなかったものは、何一つなかった」同10節「世は、言によって成った」。
コロサイ1章20節「神(御父と御子の両者)は御子の十字架の血によって平和を打ち立てられ、天地万物をただ御子によって御自分と和解させられました」ヨハネ14章27節「わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和をあなたがたに与える。わたしはこれを世が与えるように与えるわけではない」。
(注)別エントリー「試論:『一つ』の意味を140文字以内で」も参照のこと。
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ヨハネ1章1節の「言(ことば)」いわゆる《神の御言葉》とは《御自分で御言葉をお話しになる神》つまり御子である神、主イエス・キリストを意味する。「言(ことば)は神とともにあった」とは、天地創造以前の「初め」から、御子である神は御父である神とともに存在しておられた、ということである。
(注)別エントリー「試論:『福音書を読まないこと』を140文字以内で」も参照のこと。
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イザヤ9章5(6)節は救い主が「みどりご」「男の子」として世に来られると預言するが、同節は救い主を「永遠の父」と呼ぶ。同63章16節は主を「わたしたちの父」と呼ぶが、ヨハネ1章1節「初めに言があった」とは、《救い主である御子は天地創造以前から御父とともに存在されていた》、である。
(注)別エントリー「『完全な神』が『完全な人間』を担われた」も参照のこと。
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