【問】ルカ10章4節「途中で誰にも挨拶をするな」の意味は?
【答】ヘブライ人の挨拶には祝福を与える意味が含まれました。マタイ10章11節〜12節「町や村に入ったらまず誰の家が祝福を受けるのに相応しいかをよく調べてその家にずっととどまり、家に入ったらそこで初めて、祝福を与えなさい」。
【追記】
主イエスはルカ10章6節で、御自分の御教えを受け入れることになるであろう人を「平和の子」とお呼びになった。これは、イザヤ9章5(6)節が救い主イエスを「平和の君」と呼び預言していることを踏まえる。同様に、パウロは自分たちの神である主イエスを「平和の神」(フィリピ4章9節)と呼ぶ。
(注)別エントリー「試論:ルカ10章の『平和』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/17745
古代のヘブライ人にとって「平和」はあらゆる幸福の総称であり、「あなたに平和」はヘブライ人の挨拶の決まり文句だった。ルカ10章5節「この家に平和があるように」は、より長い形の挨拶(サムエル上25章6節)である。ヘブライ人は「平和に属する者」を言い表したい時に「平和の子」と表現した。
(注)別エントリー「試論:『地には平和』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8769
(注)別エントリー「試論:『平和を実現する人』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6272
主イエスは御復活の後、弟子たち(使徒たち)に初めて現われた際「あなたがたに平和があるように」と仰せになった。古代のヘブライ人にとって「平和」は全ての幸福の総称である。挨拶として長い形式ではサムエル上25章6節「あなたに平和、あなたの家に平和、あなたのもの全てに平和があるように」。