主イエスは、汚(けが)れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやす権能を十二使徒にお授けになったが、それを十二使徒は「ただで」、つまり代価なしで、主イエスから受けた。同様に使徒たちも、その権能でいやしを行い成功した場合の代価を、人々から受け取ってはならない、という主の戒めである。
【問】「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」の文言は、現代の信者の心得に応用できますか?
【答】ヨハネ12章6節はユダが「金(かね)入れを預かっていた」と記し、主イエスも献金とか寄付の類を完全に謝絶されていたわけではないようです。この文言は現代の教会事情とは一線を画すべきです。
【問】なぜイスカリオテのユダは主イエスを裏切りましたか?
【答】ヨハネ12章6節は彼が献金泥棒的な行為をしていたと記しています。「茨の中に落ちた種とは、富の誘惑その他の欲望が心に入り込み御言葉を覆い塞いで実らないこと」。財布のごまかしに象徴される面従腹背が、彼を破滅へと導きました。
主イエスはマタイ10章で十二人をお選びになり、「汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いを癒す権能」を授けられた。マルコ3章14節は「十二人」選抜の目的を御自分の傍に置くためと記す。その一人は泥棒(ヨハネ12章6節)となり、銀貨三十枚(マタイ26章15節)で、自分の師を売り渡した。
(注)別エントリー「試論:『預言や奇跡よりも』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/16157
主イエスはマタイ7章22節以下で、預言や悪霊を追い出すことや奇跡よりも、悪を行わないことこそが重要で御自分の弟子である証明だと教えられた。イスカリオテのユダは汚れた霊を追い出す権能と病気を癒す力を使徒として与えられたが(マタイ10章)、献金を盗んでいたためサタンが彼の中に入った。
(注)別エントリー「試論:『献金泥棒』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11983
使徒言行録3章でペトロは足の不自由な男性に、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう」と言って男性を癒した。主イエスはマタイ10章1節で十二使徒にあらゆる病気や患いを癒す権能を与えられ、その上で「わたしから無償で授けられたのだから、無償で与えなさい」とお命じになった。
主イエスはマタイ10章で十二人を派遣される際、汚れた霊に対する権能に関し「ただで受けたのだからただで与えなさい」と仰せになり、取引の材料にしてはいけないと念を押された。使徒言行録8章で、魔術師シモンがこの権能を金(かね)で買おうとした際、ペトロは主の仰せを踏まえてシモンを叱った。