マタイ5章6節「義に飢え渇く」の「義」とは

【問】山上の説教の「義に飢え渇く人は幸い」の「義」とは何?
【答】サムエル上24章18節「お前はわたしよりも義の人だ。わたしはお前に悪意を示したのにお前はわたしに善意を示してくれた」からも分かる通り、古代のヘブライ人の「〔神の〕義」とは現代の日本語でいえば《善意》を意味しています。

【問】「ヨセフは義人だったので婚約者のことを大っぴらにはせずひそかに離縁しようとした」の意味は?
【答】古代のヘブライ人の「義」は《善意》を指し、彼は「善意の人」であり「お前は俺のメンツを潰したのだから、お前もお前の子も地獄に堕ちろ」などと喚いて大騒ぎしたりは決してしませんでした。

(注)別エントリー「婚約者の妊娠を知った時のヨセフの心情」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/3092

マタイ1章20節の本文は、婚約者の妊娠を知ったヨセフの心情をエントゥメオマイと表現する。通常この語は熟考・熟慮を表し内面の怒りや憤慨を表す可能性も含むが、ヘロデの激昂を表す2章の語トゥモオーと違い、あくまでも本人の内面に留まるもので婚約者に感情を直接ぶつけた可能性は否定的である。

(注)別エントリー「福音書の聖ヨセフと外典書の高齢者ヨセフ」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4759

マタイ1章19節は、婚約者の妊娠がヨセフにとって一目瞭然で疑いようのない事実だった一方、ヨセフにとって婚約者の貞潔もまた一目瞭然で疑いようのない事実であり、ヨセフは大混乱の中にあったがそれでも「婚約者が裏切った証拠は全くなく、彼女を告発するわけにはいかない」と決意したことを記す。

レビ5章1節は、ある人が罪を犯したことは確実という証拠を持っていながら、その人のことを表ざたにしないなら、表ざたにしない者も罰を受けると記す。もしも婚約者が自分を裏切ったという確証を持っていながら、それでもヨセフが婚約者のことを表ざたにしなかったなら、ヨセフは義人ではあり得ない。

イエスの養父ヨセフはマタイ1章19節では「正しい人」を意味するディカイオスというギリシア語で表現されるが、25章46節にも同じギリシア語が登場し「正しい人は永遠の命にあずかる」と書かれており、25章35節から36節には「正しい人」の行動の具体的な例がいくつか実際に紹介されている。

詩編15編3節は、神なる主と同じ住まいで暮らす人の条件として、周囲に対して中傷をせず、害を及ぼさず、小馬鹿にした態度を取らないことを挙げ、また2節では完全(=無垢)で、義を行うことを挙げる。主イエスの同居家族として、ヨセフが幼子や幼子の母を困らせる行動に出た可能性は皆無と言える。

【問】カトリックではマリアとヨセフの清い関係を説きますが、そんなことありえますか?
【答】『寅さんとイエス』という本がありますが、マドンナとの距離感という点で寅さんとヨセフを比較します。両者はマドンナのために無類のお人好しともいえる奔走をしますが、彼女との関係は節度あるものでした。

マタイ福音書のギリシア語本文はヨセフをディカイオス(1章19節)と呼ぶが、ディカイオスは最後の審判で天国の福楽を確約されている人(25章37節)を意味し、ヨセフがもともと天の国にいてもおかしくないほどに無垢な(創世記6章9節)底抜けの大善人で天使のような人であったことを示唆する。

(注)別エントリー「試論:聖ヨセフの模範を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7243

(注)別エントリー「聖母と聖ヨセフが終生童貞である理由」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4464