【問】ダビデはサウル王から命を狙われていた不遇時代に、両親をモアブの王に託しました(サムエル上22章3節)。なぜ?
【答】普通、古代のイスラエルの内部抗争に際し、特定の一方だけに異邦モアブの王が肩入れすることは異例でした。しかしダビデの父エッサイの父方の祖母は、モアブ人ルツでした。
主イエスが放蕩息子のたとえを教えられた際、当時の人々の一部はルツの姑ナオミを思い浮かべたはずである。ナオミは家族と共にモアブに移住したが、夫も息子たちもモアブで亡くした。飢饉を避けるためとはいえ士師の時代にイスラエルを捨ててモアブに移住するのは、尋常ならざる行動と周囲には映った。
(注)別エントリー「試論:『放蕩息子とナオミ』を140文字以内で」も参照のこと。
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飢饉を避けるためとはいえ故郷イスラエルを捨てて異邦モアブの地に移住したナオミと彼女の家族の行動は、好ましからざるものとして当時のイスラエル人は受け止めたはずである。全てに希望を失い故郷に帰ったナオミへ、モアブ人の嫁ルツの信仰が大きな幸福をもたらしたところに、皆が天の配剤を感じた。
マタイ1章5節は、ヨシュア記に登場するエリコの遊女ラハブがルツ記に登場するボアズの母親であったと記す。ルツ記を読めば一目瞭然だが母親ラハブが息子に何を言い聞かせて育てたか、それは「相手が自分よりも弱い立場で自分の方が優位にあるように思えても、決して相手の弱みに付け込むな」である。
跡取りを産む前に夫に先立たれたルツは、申命記25章の規定に従って亡き夫マフロンの「兄弟」ボアズと再婚したが、このボアズはマフロンとは父も母も異なっていた。古代イスラエルにおける「兄弟」という概念が、父や母を同じくする同胞のみならず、広く親族全般を含んでいたことは、歴然としている。
(注)別エントリー「イエスの『兄弟』『姉妹』:同胞か親戚か」も参照のこと。
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ルツ記の主人公であるルツは、最初の夫マフロンとの間に跡取りを産む前に夫に先立たれ、のちに申命記25章の規定に従ってマフロンの「兄弟」ボアズと再婚したが、このボアズは亡夫マフロンとは父も母も異なっていた。マフロンの父はエリメレク、母はナオミで、ボアズの父はサルマ、母はラハブである。
(注)別エントリー「試論:『履物を脱ぐ』を140文字以内で」も参照のこと。
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【問】主イエスはマタイ5章44節で、敵を「愛する」つまり尊重して敬意を表すことを要請されました。そうした人の実例は聖書にありますか?
【答】サムエル上24章でサウル王はダビデに嫉妬して命を狙いましたが、ダビデはサウルのことを尊重し、サウルもダビデの「義」を認め一度は兵を退きました。
(注)別エントリー「『敵を愛する』???」も参照のこと。
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【問】山上の説教の「義に飢え渇く人は幸い」の「義」とは何?
【答】サムエル上24章18(17)節「お前は、わたしよりも義の人だ。わたしはお前に悪意を示したのにお前はわたしに善意を示した」から分かる通り、古代のヘブライ人の「〔神の〕義」は現代の日本語でいえば《善意》を意味しています。
主イエスは敵を愛するよう命じられたが既にそれはモーセの律法に存在した。出エジプト23章4節〜5節「あなたの敵の牛やろばがさまよっているのを見たなら、その家畜を敵のところへ帰してやりなさい。あなたを憎む者のろばが重荷の下敷きになっているのを見たなら、その者と共にろばを助けなさい」。
(注)別エントリー「試論:『愛』と『愛の反対』を140文字以内で」も参照のこと。
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