試論:聖書の中の「憎む」とは?を140文字以内で

ヨハネ12章25節は「この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命を得る」と主の仰せを記す。古代のヘブライ人は「〜を二の次にする」と言いたい時にも、「〜を憎む」という表現を用いた。同15章18節「世はあなたたちを憎む前に、わたしを憎んでいた」も、同様の意味合いをも含んでいる。

【追記】

主はルカ14章26節で「もしもだれかがわたしのもとに来るとしても、父母、妻、子供、兄弟、姉妹を、さらに自分の命であっても、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない」と仰せになったが、マタイ10章37節との比較から明らかな通り、この「憎む」は「二の次にする」の意味合いである。

かつて主イエスはマタイ17章12節で、洗礼者を「エリヤ」と呼ばれた上で「人々は彼を認めず好きなようにあしらったのである。人の子(=主イエス御自身)も同様に、人々から苦しめられることになる」と仰せになった。聖書の時代の古代人は、周囲の人々の無関心も「憎む」という表現に包含していた。