【問】ヨハネ福音書は神が人間になられたことを他の福音書以上に強調します。なぜ?
【答】当時の異邦人の世界では使徒言行録でバルナバとパウロがゼウスやヘルメスと呼ばれたように、人間の神格化は比較的容易に行われていましたが、主イエスとはそれとは逆に神が人間になられた方だと念を押しました。
【追記】
マタイ7章28節以下は「イエスが語り終えられると群衆は非常に驚いた。彼が権威ある者として教えられたからである」と記す。同5章21節以下は「昔の人々は△△と教えられていたがわたしは、あなたたちに◯◯であると教える」と主が説かれたと記し、主は御自身をモーセや他の預言者より上とされた。
ヨハネ1章14節は神の御独り子が「肉」となられたと記す。「肉」は創世記6章で人間を指す語だが道徳的な脆さのニュアンスも含む表現であり、それゆえ悪魔が誘惑を試みた。誘惑の後、天使たちがイエスに仕えたが天使は本来単なる人間には仕えない。主イエスは神のままで人間としての全てを担われた。
(注)別エントリー「試論:『神には劣化がない』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8697
「神が人となられた」と聞くと現代人は単純に「神が人間に変化(変質)された」と捉えがちだが古代の旧約の民は、絶対にそうは理解しなかった。なぜなら「わたしはある」(出エジプト記3章14節)という神の御名に含まれるヘブライ語の動詞「ある」には、変化(変質)のニュアンスはないからである。