【問】マタイ5章7節「憐れみ深い人は幸い。その人は、神からの憐れみを受ける」。なぜ?
【答】箴言19章17節「困窮する人々に救いの手を差し延べ憐れみの業を行う人は、主に対して貸しを作っていることと同じであり必ず報われる」ルカ6章38節「あなたたちは、自分の量る秤で量り与えられる」。
ルカ19章8節でザアカイは主に「わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また何かを誰かからだまし取っていたなら四倍にして返します」と約束した。マタイ5章7節の「憐れみ深い人は幸いである。その人は憐れみを受ける」という御言葉の通り、主は「今日この家に救いが訪れた」と宣言なさった。
マタイ5章7節「憐れみ深い人は幸いである。その人は神からの憐れみを受ける」は、箴言11章17節の前半「憐れみ深い人は、その善行によって、自分自身の霊魂にも良いものをもたらす」の答えである。ちなみに、箴言の同じ節の後半は「憐れみのない人は、その行いが回り回って、自分自身が苦しむ」。
マタイ22章14節の「選ばれる人」とは、神からの招きに忠実に応じて「神の掟を守り通す人」(黙示録12章17節)である。隣人に対して憐れみ深い人は自分も神の憐れみを受ける(マタイ5章7節)。一人一人が隣人に対して取るのと同じ態度を、神も一人一人に対して返される(ルカ6章38節等)。
マタイ5章7節「憐れみ深い人は幸いである。その人は憐れみを受ける」はヨハネ13章「わたしがあなたがたを愛したように互いに愛し合いなさい」同14章「わたしを愛する人はわたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、御父とわたしはその人のところに行って一緒に住む」等と同じ道理である。
【問】なぜ主はマタイ6章12節で「わたしたちの罪をお赦し下さい。わたしたちも〔他の〕人を赦します」とお教えになりましたか?
【答】「憐れみ深い人は、その人自身が神の憐れみを受けるから幸い」(マタイ5章7節)だからであり、詩編18編26(25)節は主は優しい人に優しいと教えています。
箴言17章5節の後半は「他人の不幸を喜ぶ人は罰を免れない」等と訳される。古代のギリシア語訳はさらに「同情する人は憐れみを受ける」と続け、これはマタイ5章7節と同じ趣旨であり聖書の「憐れみ」とは他人の不幸を喜んだり笑ったり嘲ったり蔑んだりせず、ただ同情を寄せることであると説明する。