創世記3章15節の「女」は誰?

創世記の4章までを読んでいると、どうにも腑に落ちないことがあります。

「蛇」は、「ねたみ(知恵の書2章24節)」のために、エバとアダムをだまし、害を与えましたが、のちにエバの長男のカインもまた、ねたみのために、弟アベルを野原に連れ出し、殺害しました。
しかし、主なる神は創世記3章15節で、「蛇」に向かって、「おまえと女、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く」と約束されたはずです。
それなのに、エバの子孫は、その最初の一人であるカインからして悪行に手を染め、敵意どころか「蛇」の行ないに倣う者、大罪を犯す者となってしまいました。

知恵の書10章3節には、「かの悪人」すなわちカインは、「怒りのうちに」「憤って兄弟を殺し、滅び去った」とあります。

創世記3章15節における主なる神の約束と、カインの悪行および末路とは、明らかに矛盾しています。

さて、ここまでの議論のどこに、間違いがあるのでしょうか?

やはり、創世記3章15節の「女」をエバと考えるから、矛盾が生じるのです。
この「女」はエバではなく、いずれ現われるであろう別の女性、と考えるべきということになります。

黙示録の12章では「女」と「竜」が登場して決定的に対立しますが、「竜」とは、創世記に登場する「蛇」(「年を経た蛇」)であると示唆され、「悪魔」「サタン」のことだと説明されています。
「女」は、「男の子を産んだ」とありますが、「この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた」と続けられています。
この「男の子」とは当然、イエス・キリストのことでしょう。
また「神の掟を守り、イエスの掟を守りとおしている者たち」のことを、「その子孫の残りの者たち」とも呼んでいます。
「その」というのは、「『女』の」ということです。

創世記3章15節の「女」とは、やはりイエスの母マリア、聖母のことでしょう。

(以上の聖書の日本語訳は、日本聖書協会の新共同訳『聖書』によりました)