ヤコブ4章3節「願い求めても与えられないのは、自分の楽しみのために利用しようと、間違った動機で願い求めるから」一ヨハネ5章14節「何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うのなら、神は聞き入れて下さる。これが神に対するわたしたちの確信」同3節「神を愛するとは神の掟を守ること」。
(注)別エントリー「試論:旧約聖書の要諦を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5617
(注)別エントリー「試論:『愛』と『愛の反対』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/12199
【追記】
ルカ18章で主は「やもめと裁判官」のたとえを話されたが、それは「気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるため」(1節)で、「何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる」また「これがわたしたちの神に対する確信」と一ヨハネ5章14節は教える。
(注)別エントリー「試論:ルカ18章7節を140文字以内で」も参照のこと。
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