キリスト教では神御自身が愛であられる(一ヨハネ4章8節)以上、「神のものを神に返す」とは神を愛することに他ならないが、5章3節は「神を愛するとは神の掟を守ること」と説く。従って隣人愛の掟(ガラテヤ5章14節等)をキリストの律法(マタイ7章12節)に即して行うことがそれに該当する。
(注)別エントリー「試論:『愛』(キリストの律法)を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13665
【追記】
主イエスはマタイ23勝4節で「彼らは背負い切れない重荷を他人に負わせるが自分自身は指一本貸そうともしない」、同11章30節では「わたしの荷は軽い」と仰せになった。ファリサイ派と律法学者とはモーセの律法に「人間の言い伝え」を上乗せしたが、主イエスはマタイ7章12節に全て要約された。
(注)別エントリー「試論:『わたしに荷は軽い』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6870