試論;救われる者は少ないか??を140文字以内で

ルカ13章23節は主イエスに救われる者は少ないかを尋ねた人がいたと記す。主は直接の回答をされなかったが、のちに最後の晩餐の夜、ヨハネ14章2節で「わたしの父の家には住む所がたくさんある」と仰せになった。それが答えである。合格者の定員は存在しない。従って、問題は合否の基準と言える。

(注)別エントリー「試論:『合格者数と合否の基準』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8201

(注)別エントリー「試論:『誰の死も喜ばれない神』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/18444

【追記】

ルカ13章23節は救われる者は少ないかという主への質問を記す。主は27節で不義を行う人々は神に拒まれると答えられ、救われるか否かはあくまでも一人一人が主のおぼしめしに沿うか否かであり、救われる者の多い少ないよりそれ以前にまず神の義(マタイ6章33節)を求めて生きるよう勧められた。

(注)別エントリー「試論:『救われる者は少ないか』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8111

主はルカ13章23節で救われる者は少ないかと問われ、27節で不義を行う人々が神に拒まれると答えられた。確かに「合格者数」や「合格率」がどうしても気になってしまうのは仕方ないが、だからといって、合格と不合格を分ける判断の基準に目が行かなくては本末転倒で、基準は聖書に明記されている。

(注)別エントリー「試論:『神のものを神に返す』?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/18573