試論:どちらに従うべきか?を140文字以内で

ルカ2章51節は少年時代の主イエスが両親に従っておられたと記す。他方、4章5節から8節は悪魔が主を誘惑して自分に従わせようとしたが、主は断固として拒まれたと記す。今、キリストの弟子を自称する人々が、母マリアを拒む一方で悪の誘惑には抵抗できないとしたら、彼らの本籍はどこにあるのか?

(注)別エントリー「試論:『女』とサタンの対立を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/10314

(注)別エントリー「試論:『マリアとヨセフと聖書』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/16295

【追記】

黙示録12章の女は5節で、諸国民を鉄の杖で治める男の子を産んだ。かつてモーセは神の杖を槌として用い岩を打ち砕いた。エレミヤ23章29節は御言葉を、岩を打ち砕く鉄槌に喩える。故に黙示録の鉄の杖も御言葉の象徴的表現で、男の子は「神の御言葉」主イエス・キリスト、女はその母マリアを指す。

(注)別エントリー「試論:『神の御言葉』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5844

創世記3章15節で神は、サタンと決定的に対立する一人の女性が将来現れることを予告された。黙示録12章では、それは救い主の母となった女性のことだと啓示された。救い主は人々を罪や悪から救うために生まれるので、その母が存在の最初の瞬間から罪や悪とは完全に無縁であるべきなのは当然である。

(注)別エントリー「神のお告げ:受胎告知と無原罪の御宿り」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4835

黙示録は古代のヘブライの世界観に従い人間を「土の器」(2章27節)と表現し、さらにそれを踏まえ「諸国の民の上に立つ権威」(同節)を「鉄の杖」(同節、12章5節)に喩える。12章で「鉄の杖」は神の御独り子たる主イエスの王権を象徴し、最後までイエスに忠実だった人々は主の王権にも与る。

(注)別エントリー「試論:『女』と『残りの者たち』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/10682

(注)別エントリー「『土の器』(つちのうつは)」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/14324