ルカ8章2節はマグダラのマリアを、主イエスに七つの悪霊を追い出していただいた女性と記す。「七つの悪霊」として最も蓋然性が高い事柄は箴言6章17節以下に記される七つの悪徳(高慢、虚言、殺意、悪巧み、無分別、詐欺、偽証)を指すと思われる。マグダラは風紀の乱れた地として悪名が高かった。
(注)別エントリー「試論:『わたしに触れるな』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/16000
(注)別エントリー「マグダラのマリア」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/17893
【追記】
ルカ8章48節で主は御自分の服に触れ癒しを得た女性に「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と仰せになった。7章50節でも主は罪の女性に赦しを与えた際に、同じ言葉をかけられた。イザヤ6章10節(マタイ13章15節、ヨハネ12章40節)でも主の赦しは癒しと同一視される。
(注)別エントリー「試論:他人を赦すことを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5300
主イエスはルカ11章24節以下で、いくら御自分や弟子たちが人々から悪霊を追い出したとしても、その人自身が悪霊を拒む強固な意志を抱いて主なる神への信仰によって悪霊に心の隙を与えぬよう努めなければ、やがて悪霊はその人の隙に乗じて戻って来て、その人の内面を占領してしまうと仰せになった。
(注)別エントリー「試論:『体も家も自身の住まい』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9924
(注)別エントリー「試論:『土の家』(+復活の体)を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9624
ローマ1章は28節「してはならぬこと」32節「死に値する行い」(32節)に関し29節以下に列挙する。全ての不義と悪、貪欲、悪意、妬み、殺 意、不和、詐欺、邪念、悪口、誹謗中傷、神を憎むこと、隣人を侮ること、高慢、大言壮語、悪だくみ、親不孝、御言葉の無視、不誠実、冷酷や無慈悲である。
主はマルコ7章20節以下で、御自分が人々にお望みである「清さ」とは対極にあるもの、つまり「愛」そのものである御自分とは相容れないものについ て「悪い思い」と総称され、具体的には、みだらな行い・盗み・殺意・姦淫・貪欲・悪意・詐欺・好色・ねたみ・悪口・傲慢・無分別などだと御説明された。
(注)別エントリー「試論:『礼服』の意味を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8008
(注)別エントリー「試論:『愛』と『愛の反対』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/12199
二テモテ3章でパウロは「終わりの時」の人々の姿を記した。自分本位で金銭を愛し、嘘をつき、神を畏れず嘲り、両親に従わず、恩知らずで、他人を侮 り、情け容赦なく、強情で、中傷し、節度がなく、残酷で、善を行わず、裏切り、軽率かつ高慢、信仰を装いつつ実際は快楽を愛し、事実上は棄教している。