【問】ルカ4章は主イエスが荒れ野で誘惑されたと記しますが、同1章80節は洗礼者も荒れ野にいたことを記し、主イエスより長期間いたようです。
【答】他宗教におけるような「修行」目的に主イエスは荒れ野に行かれたわけではなく、あくまでも悪魔からの誘惑を受けられるために荒れ野に行かれました。
【問】確かに四十日間で目的を達成する修行など聞いたことがないですが、ではあえて主が誘惑を受けられた目的とは?
【答】神に修行は不要です。悪魔はこの四十日間と御受難前の一定期間、「神であるあなたがどうしてたかが人間なんかのために過酷な目に遭われるのですか?」とイエスに囁き続けました。
【問】「悪魔による荒れ野の誘惑」とは、主イエスに贖(あがな)いの業を思いとどまらせる悪魔の計略だった、ということですか?
【答】「たかが人間なんかのために、神はなぜそこまでするのか?」という嫉妬が、神の御計画を悪魔が邪魔する動機で、同じ動機により悪魔は楽園でエバに近づき陥れました。
【問】悪魔が人間に嫉妬しているなどと、聖書のどこに書いてありますか?
【答】知恵の書2章24節(新共同訳)「悪魔のねたみによって死がこの世に入り、悪魔の仲間に属する者が死を味わう」。この前半部分は創世記3章の「失楽園」を、後半部分は同4章のカインが永遠の死に至ったことを示唆します。
【問】カインが永遠の死に至ったなどと、聖書のどこに書いてありますか?
【答】知恵の書10章3節(新共同訳)「かの悪人は怒りのうちに知恵から遠ざかり、憤って兄弟を殺し、滅び去った」。悪魔は主イエスに贖いの業を思いとどまらせようと企みました。全人類にカインと同じ運命を歩ませるためです。
(注)別エントリー「試論:履物をお脱がせする???を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/26336
ヘブライ2章13節以下は、御父が御自分に委ねられた者たちが人間である以上、御子も神のままで神であられながら人間の肉体と魂を担われたが、それは悪魔の罪と死の支配から人々を解放するためと記す。マリアの賛歌は神が人間の肉体と魂を担われた事実を「偉大なこと」(ルカ1章49節)と表現した。
ヨハネ1章14節は「神の御言葉(=主イエス)は肉(=人)となられ、わたしたちの間に宿られた(=住まわれた)」と記す。マルコ10章45節では主御自身が「仕えられるためではなく仕えるため」「多くの人の身代金(=あがない)として自分の命を献(ささ)げるために来た」と仰せになられている。
ルツ4章7節によれば、古代イスラエルでは親族たちの責務の代行や委譲に際して、自分の履物を脱ぐ慣習があった。主イエスは多くの人の贖(あがな)い、つまり身代金(代価)となるためこの世に来られた(マタイ20章28節)。洗礼者はこのことを、「履物」「神の小羊」「花婿」等の表現で示唆した。
(注)別エントリー「試論:贖(あがな)いを140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『メシア到来の目的』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7479
(注)別エントリー「試論:『神の小羊』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:世の罪を取り除く神の小羊を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『花婿』って誰?を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『主イエスこそ真の花婿』を140文字以内で」も参照のこと。
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