「主の変容」の際モーセとエリヤを目撃した三人の使徒は、今しがた自分たちが目撃したばかりのエリヤが旧約聖書のマラキ書に預言された役割を果たすのか、と主イエスに質問した。主はマタイ11章14節を踏まえ、マラキ書に預言された役割を果たすのは洗礼者ヨハネである旨を使徒たちに仰せになった。
【追記】
主は高い山の上でモーセやエリヤと語り合われたが、語り合っているのは誰かがペトロには察しがついた。モーセは「神の杖」を手に携えていて(出エジプト記4章20節、17章9節)エリヤは「毛衣を着て腰には革帯を締めている」(列王記下1章8節)という外見的特徴からペトロは判断したのであろう。
主イエスはマタイ11章14節で、洗礼者ヨハネが預言者マラキのいうエリヤだと教えられたが、ヨハネ1章21節で洗礼者は一度それを否定した。当時の人々は最初にしるしで判断しようとした(マタイ12章38節)が、洗礼者にはエリヤと同じしるしを行う意図はない(ヨハネ10章41節)からである。
(注)別エントリー「試論:『あの預言者』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8677
(注)別エントリー「試論:『履物を脱ぐ』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8620
洗礼者は何のしるしも行わなかった(ヨハネ10章41節)が、主は彼がエリヤだと仰せになった(マタイ11章14節)。洗礼者自身はエリヤであることを否定した(ヨハネ1章21節)が、人々から「天からのしるし」(列王上18章38節、マタイ16章)を求める声が起こらないようにするためだった。
(注)別エントリー「試論:もう一人の『エリヤ』??を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/10009