試論:「わたしは世の光」なぜ?を140文字以内で

【問】主イエスは「わたしは世の光」「あなたたちは世の光」などと仰せになりました。なぜ?
【答】「光」はイザヤ58章6節以下にある通り善意・温情・心配り・憐れみの業等の喩えで、人の心と表情を明るくさせ人々の心を温めます。「光」がなくなれば、人々の心と表情は暗くなり、心は冷え込みます。

【追記】

【問】福音書には主イエスが「笑った」という記述がない、という議論があるそうです。
【答】イザヤ58章10節は隣人への温情を「光」に喩えます。理由は相手の心や顔を明るくするからです。主はヨハネ8章で「わたしは世の光」と宣言されましたが、これはいつも仏頂面の人が語る言葉ではありません。

【問】イザヤ58章6節以下では、困窮している人々に対する心配り・善意・温情・憐れみの心が「光」に喩えられていますが、なぜ?
【答】それらが相手の表情と心とを明るくさせ、また、それらが相手の心を、光が熱を与えるように温かくさせるからです。マタイ5章16節「あなたの光を輝かせなさい」。

ヨハネ1章14節「《神の御言葉》(=天使や預言者を介してではなく、御自身で御教えをお話しになる神)は『肉』(=人間。創世記6章12節参照)となられ、わたしたちと共に住まわれた。わたしたちは、彼の栄光を見たが、それは、御父の御独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」。

A.他人からしてもらいたいことを他人に行う(マタイ7章12節)。

B.他人からしてもらいたいことを他人に行わない。

C.他人からしてもらいたくないことを他人に行う。

D.他人からしてもらいたくないことを他人に行わない(トビト4章15節)。

「愛」はAとDであり「愛の反対」はBとCである。

(注)別エントリー「試論:『愛』と『愛の反対』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/12199