試論:一ペトロ5章「バビロン」を140文字以内で

【問】一ペトロ5章13節「バビロン」をローマと解釈する人々がいます。
【答】この手紙は「離散」(同1章1節)つまりステファノ殉教後エルサレムから追い散らされたキリスト信者のユダヤ人たちに対して、都に残った使徒を代表してペトロが書き送ったもので、「バビロン」はエルサレムを暗示します。

【追記】

【問】では、なぜペトロはエルサレムを「バビロン」と呼んだのですか。
【答】キリストの敵たちは、かつて主イエスを死に至らしめましたが、この時は主イエス一人だけが標的でした。今や弟子たち全てが標的となり、ユダヤ人は大昔にバビロンへ連行された頃のように、真の神を見失いつつあったからです。

(注)別エントリー「試論:『大淫婦』の正体を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15895

(注)別エントリー「エルサレムがバビロンと呼ばれた理由」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1962

【問】ステファノ殉教後キリスト信者がエルサレムを追われた時、使徒たちだけは都に残りましたが、なぜマルコも、使徒たちと都に残ったのですか?
【答】マルコは、ペトロから「わたしの子」と呼ばれるほどに近しい間柄で、この時期はシルワノ共々、ペトロが手紙を書く際に翻訳を手伝っていたようです。

【問】ペトロと近しかったということは、マルコが福音書を書いた際の主要な情報源はペトロ、ということになりますか?
【答】マタイは十二使徒の一人だったので自分自身が情報源でした。主が湖上を歩かれた際に真似しようとしたペトロが溺れかけた話を、マタイは書きましたが、マルコは書いていません。

【問】マルコ14章51節以下に亜麻布を脱ぎ捨てて逃げる若者の話がありますが、これはマルコ自身のことですか?
【答】当然そういう解釈がある一方で、この若者とは男性信者の中で唯一ゴルゴタの主の十字架の下に付き従ったヨハネ(十二使徒の一人)ではないか、という別の解釈もまた存在しています。