預言者ヨナの不満をよそに主なる神は、アッシリアの大いなる都ニネベについて惜しまれた。ルカ19章41節以下で主イエスは、約四十年後に到来するエルサレム滅亡の日を予告され泣かれた。同じ都は数日後に御自身を殺す都であったが、ニネベを惜しまれた以上に、都エルサレムの滅亡を嘆き惜しまれた。
(注)別エントリー「試論;『大淫婦』の正体を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15895
(注)別エントリー「エルサレムがバビロンと呼ばれた理由」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1962
(注)別エントリー「あなた方は神と富に仕えることはできない」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1699
【追記】
十字架を担わされ刑場へと歩かされる主イエスの御姿を見て、エルサレムにいた女性たちの大きな群れが主に従い嘆き悲しんだ。主イエスは女性たちに、彼女たち及び彼女らの子供たちが存命中の時代に別の大きな悲しみの時(紀元七〇年のエルサレム滅亡)が到来することを予告されて、心の準備を促された。
(注)別エントリー「試論;『女性たちの悲しみ』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/18927
(注)別エントリー「エルサレムの婦人たちへの伝言」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/15741