《体も家も自身にとっての住みか》と考え両者を重ねる観念はヨブ4章19節に見られる旧約の民に特有の世界観で、ヘブライ人は人間それ自身を「家」に喩えた(「汚れた霊が家に戻って来る」マタイ12章及びルカ11章)。マタイ24章43節「家の主人」とは一人一人の人間それぞれの自由意志である。
(注)別エントリー「試論:『体も家も自身の住まい』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9924
(注)別エントリー「試論:『土の家』(+復活の体)を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9624
【追記】
主イエスはルカ11章24節以下で、いくら御自分や弟子たちが人々から悪霊を追い出したとしても、その人自身が悪霊を拒む強固な意志を抱いて主なる神への信仰によって悪霊に心の隙を与えぬよう努めなければ、やがて悪霊はその人の隙に乗じて戻って来て、その人の内面を占領してしまうと仰せになった。
(注)別エントリー「試論:『汚れた霊』と『家』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/19359