試論:「汚れた霊」と「家」を140文字以内で

主イエスはルカ11章24節以下で、いくら御自分や弟子たちが人々から悪霊を追い出したとしても、その人自身が悪霊を拒む強固な意志を抱いて主なる神への信仰によって悪霊に心の隙を与えぬよう努めなければ、やがて悪霊はその人の隙に乗じて戻って来て、その人の内面を占領してしまうと仰せになった。

(注)別エントリー「試論:『体も家も自身の住まい』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9924

(注)別エントリー「試論:『土の家』(+復活の体)を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9624

【追記】

《体も家も自身にとっての住みか》と考え両者を重ねる概念はヨブ4章19節に見られるヘブライの世界観で、ヨハネ2章19節の主の仰せ「三日で建て直す」や二コリント5章9節と関連する。ヘブライ人は人間それ自身をも「家」にたとえた(マタイ12章やルカ11章の「汚れた霊が家に戻って来る」)。

(注)別エントリー「試論:『さらに完全な幕屋』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/10231

「家と体はともに自身にとっての住まい」として両者を重ねる古代のヘブライ人の世界観を踏まえれば、主がヨハネ14章2節以下で仰せになった「あなたたちのために準備する住む場所」とは、「天から与えられる住みか」(二コリント5章1節)すなわち、「天上の体」(一コリント15章40節)を指す。

(注)別エントリー「試論:『霊の帰還』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8381