試論:旧約聖書と「バプテスマ」を140文字以内で

古代ギリシア語訳列王記下5章14節は預言者エリシャの言葉に従いヨルダン川に七度身を浸したシリア(=アラム)人ナアマンの行為を、「洗礼」と訳されるバプテスマの動詞形バプティツォで表現する。10節でエリシャは七度身を洗うように指示したが、それを受けてナアマンは14節で七度身を浸した。

(注)別エントリー「バプテスマは身を沈める・身をひたすことか【再投稿】」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/20233

【追記】

ルカ4章22節は故郷の人々の「皆がイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いた」と記す。ガリラヤの各地で名声を高めていたイエスに対し「故郷に凱旋」と誇らしく思っていた会堂の人々は、話の雲行きが怪しくなるとやがて裏切られたと感じ、イエスを町外れの崖っぷちから突き落とそうとした。

ルカ4章で主イエスは、故郷ナザレの会堂でお話しされたが、古代ユダヤにおいて会堂は学びの場であり、会堂長は建物や聖書の巻物の管理者ではあったが、基本は信者同士が教え合うことであり七か所の聖書朗読はもちろん預言書の解説も、学識に信用が置けると会堂長が判断した人々が行う事になっていた。

ルカ4章16節は主イエスについて「いつもの通り安息日に会堂に入り聖書を朗読しようとして」と記し、主が無名時代から故郷のナザレで「学識に信用が置ける人」と評価されていたと分かる。通常、最後の朗読者は預言書と、その解説も担当し、解説の内容次第では会堂が大騒動になりかねないからである。

一世紀のユダヤ人は、ユダヤ本国でもそれ以外の国々でも安息日ごとに会堂に集まり、旧約聖書の朗読から学んだ。律法が定める祭儀はもっぱら神殿で行われ会堂は学びの場だった。律法と預言書の朗読の後、会堂長から指名された者(使徒言行録13章15節)が続いて解説(ルカ4章21節以下)を行った。