【問】主イエスはマタイ10章25節で「弟子は師のようになればそれで十分」と教えられましたが、実際に何をすべきですか?
【答】主イエスはルカ6章40節で「弟子は師にまさるものではないが、漁師が網の手入れをするように日頃から入念な準備を怠らなければ師のようになれる」と仰せになりました。
【追記】
主イエスはルカ6章40節でどうすれば弟子は師のようになれるか教えられた。ギリシア語本文の動詞はマルコ1章19節「〔網の〕手入れをする」と同じで「破れがないか全体を確認し、あれば修繕し、付着物を念入りに除去し、十分に洗い、現場で使い物になる完全な状態まで仕上げる」という意味である。
主はルカ6章40節で「弟子は先生より優れた者でないにせよ、普段から十分に心の準備を整えていれば、その先生のようになれる」と仰せになった。この箇所は内容的には36節の「あなたたちの天の御父が憐れみ深い方であられるように、あなたたちもまた、憐れみ深い者になりなさい」に結び付いている。
(注)別エントリー「あなた方も憐れみ深い者となりなさい」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4346
(注)別エントリー「試論:『主は優しい人に優しい』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8296
(注)別エントリー「試論:『いけにえ』と憐れみを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8356