【問】マタイ11章30節「わたしの軛」「わたしの荷」の両者は、同じ事柄ですか? 違う事柄ですか?
【答】同じ事柄です。「軛」も「荷」も《法(律法)》や《掟》の比喩で、古代のヘブライ人は、共通するニュアンスを持つ別々の表現を並記することで意味を強調する、独特のレトリックを好みました。
【追記】
【問】「荷」が《法(律法)》や《掟》の比喩であるなどと、どうして分かりますか?
【答】主イエスが「わたしの荷は軽い」と仰せになったのと同じ内容を、ヨハネは「神の掟は荷が重くありません」(一ヨハネ5章3節)と主張しましたが、新共同訳は「神の掟は難しいものではありません」と表現します。
【問】では、「わたしの軛」「わたしの荷」とは。具体的に何のことですか?
【答】パウロが「キリストの律法」(一コリント9章21節、ガラテヤ6章2節)と呼ぶ、マタイ7章12節の「他の人からしてもらいたいことならばなんでも、あなたの方からしなさい」という主イエスの御教えを、指しています。
【問】「共通するニュアンスを持つ別々の表現を並記することで意味を強調する、レトリック」の具体的な実例は?
【答】申命記30章15節「わたしは今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く」。「命」も「幸い」も、あらゆる幸福の総称であり、同様に「死」も「災い」も、あらゆる不幸の総称です。
【問】新約聖書にも実例はありますか?
【答】ローマ8章6節「肉の思いは死、霊の思いは命と平和」。「肉」は人間由来の事柄、「霊」は神に由来する事柄を表し、「平和」も「命」と同様に、あらゆる幸福の総称です。《人間由来の願望はその人の死で終わるが、神に由来する願望は人を永遠の命に導く》。