【問】マルコ12章30節(申命記6章5節)「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし」って何のこと?
【答】ヘブライ12章1節は各人の信仰生活を「最後まで走り抜くことを定められた競走」に喩えます。パウロは二テモテ4章6節以下で走り終える時つまり世を去る時が近いと記します。
【追記】
【問】人生最後の瞬間までは気を抜いてはいけないということですか?
【答】マタイ18章21節以下の「仲間を容赦しない家来」の喩えの通り、「自分は既に赦されている」という思い込みが人間を良い方に導くとは限らず、逆に周囲の人々に威張り散らし目も当てられぬ醜態を演じる人すら現れかねません。
【問】主の養父ヨセフは、マタイ1章19節で義人と呼ばれますが、信仰によって義とされた人という意味ですか。
【答】確かに彼は信仰によって義とされましたが、最終的に彼が義とされたのは彼が生涯を閉じるその時ではないでしょうか。主イエスが養父ヨセフに直接それを伝えられたかどうかは不明です。
【問】キリストの信者は洗礼を受けた際に、全ての罪を赦されたのではないでしょうか?
【答】確かにそうですが、洗礼後にキリストの信者としてふさわしくない振舞いを行ったことまでも洗礼が正当化してくれることなどありえません。そのような横着でなまくらな発想は主イエスの御教えとは相容れません。