主イエスが「柔和」を強調された理由

主イエスはルカ7章で、やもめの息子を生き返らせられたが、これは預言者エリシャの奇跡(列王下4章)を彷彿とさせた。ただエリシャには彼の禿頭をからかった子供たち四十二人が熊に襲われ負傷したという話(列王下2章)もあった。自分を揶揄した人々でも報復を受けることはないと、主は表明された。

【問】主イエスがマタイ11章29節で「柔和で謙遜」を自称された理由は?
【答】モーセは民数記12章で姉ミリアムや兄アロンから難癖を付けられましたが恨みを抱かず、神なる主がミリアムを罰するとモーセは姉のために赦しを願いました。主イエスは、自分もモーセのような心持ちだと宣言されました。

【問】なぜエリシャは厳格なのに、主イエスは「柔和」と称されたのですか?
【答】それは詩編18編26節前後にある通り、主は優しい人に対して優しい神だからです。多くの人が、預言者が厳格ならば、神なる主はそれに輪をかけてさらに厳格に違いないと、勝手に思い込んでいますが、実際はその逆です。

(注)別エントリー「試論:『主は優しい人に優しい』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8296

(注)別エントリー「試論:『愛』(キリストの律法)を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13665

【問】主イエスはどんな難癖でもお赦しになるの?
【答】それは違います。主イエスは、御自分の人間的側面への難癖(ガリラヤ人、大工、「大食漢で大酒飲み、徴税人や罪人の仲間」)には看過されますが、聖霊によって悪霊を追い出したことを「ベルゼブルによって」呼ばわりすることには容赦されません。

古代のギリシア語訳民数記の12章3節ではモーセを「柔和な人」の代表例とする。自分に難癖をつけてきて神に罰せられた(レビ19章17節参照)姉ミリアムに対して、モーセは全く姉の不幸を喜ぶことなく(箴言17章5節参照)、逆に姉のために神なる主に執り成し、赦しを請い願った人だからである。

(注)別エントリー「民数記12章3節:モーセの人となり」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5051

主イエスはルカ7章で、ナインという町のやもめの息子を生き返らせられた。その八百年以上前にエリシャはシュネムという町の婦人の子供を生き返らせる奇跡を行っていた。シュネムとナインは距離的に極めて近かったと想定され、町の人々がイエスを大預言者と呼んだのも、エリシャの故事を踏まえている。

(注)別エントリー「試論:『時代のしるし』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/14378

主イエスはパンを増やし五千人の群衆に食べ物を与えるという奇跡を行われた。類似の奇跡は列王下4章42節以下で「神の人」預言者エリシャも行っていた。主イエスの神の御独り子たる本領は「生まれつき目が見えなかった人の視力を回復させた」(ヨハネ9章32節、イザヤ35章5節)時に発揮された。

(注)別エントリー「試論:『救い主の識別』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13316