あなた方も憐れみ深い者となりなさい

(以下、聖書の日本語訳は、基本的にはフランシスコ会聖書研究所訳注『聖書』によりますが、別の訳語を提示する場合は適宜説明を加えます)

【1】キリストは旧約聖書の教えを廃止するためではなく、成就(実現)するために来られた

◯マタイによる福音書5章17節~18節
「あなた方は、わたしが律法や預言者たちを廃止するために来たと思ってはならない。廃止するためではなく、成就するために来たのだ。あなた方に言っておく。天地の続くかぎり、律法の一点一画も消(き)え失(う)せることはなく、ことごとく実現するであろう」

◯レビ記19章2節
「イスラエルの子らの全会衆に告げよ、『お前たちの神、主であるわたしは聖であるから、お前たちも聖でなければならない』」

レビ記19章2節「お前たちの神、主であるわたしは聖であるから、お前たちも聖でなければならない」は、マタイ福音書5章48節「天の父が完全であるように、あなた方も完全な者となりなさい」とルカ福音書6章36節「あなた方の父が憐れみ深いように、あなた方も憐れみ深い者となりなさい」とで引用されている。

◯マタイによる福音書5章43節~45節、48節
「あなた方も聞いているとおり、『あなたの隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、あなた方に言っておく。あなたの敵を愛し、あなた方を迫害する者のために祈りなさい。それは、天におられる父の子となるためである。天の父は、悪人の上にも善人の上にも太陽を昇らせ、正しい者の上にも正しくない者の上にも雨を降らせて下さるからである」
「だから、天の父が完全であるように、あなた方も完全な者となりなさい」

◯マタイによる福音書6章14節~15節
「人の過ちを赦すなら、あなた方の天の父もあなた方を赦してくださる。しかし、あなた方が人を赦さないなら、あなた方の父も、あなた方の過ちを赦してくださらない」

◯マタイによる福音書7章1節~2節
「裁いてはならない。裁かれないためである。あなた方が人を裁くように、あなた方は裁かれ、あなた方が量るその升(ます)で、あなた方にも量り与えられる」

◯ヨハネの第一の手紙4章19節~21節
「わたしたちが愛するのは、神がまず、わたしたちを愛してくださったからです。『神を愛している』と言いながら、自分の兄弟を憎むなら、その人は嘘(うそ)つきです。目に見える自分の兄弟を愛さない人は、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は、自分の兄弟をも愛さなければなりません。これが、わたしたちが神から受けた掟です」

この箇所では、「愛する」と「憎む」とが明らかに対比されている。つまり、キリスト教的な愛は憎しみとは相容れない反対の事柄であることが語られている。

◯ガラテヤの人々への手紙5章14節~15節
「律法全体は、『隣人を自分のように愛せよ』という一句を守ることによって果たされます。しかし、もし互いに嚙(か)み合(あ)い、食い合っているとするなら、互いに滅ぼされないように気をつけなさい」

【2】「先生、律法の中でどの掟(おきて)がいちばん重要ですか」

◯マタイによる福音書22章34節~40節
「サドカイ派の人々がイエスに言い込められたのを知って、ファリサイ派の人々は集まった。そのうちの一人で律法の専門家が、イエスを試みようとして尋ねた、『先生、律法の中でどの掟(おきて)がいちばん重要ですか』。イエスは答えて仰せになった、『《心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい》。これがいちばん重要な、第一の掟である。第二もこれに似ている。《隣人をあなた自身のように愛しなさい》。すべての律法と預言者は、この二つの掟に基づいている』」

◯マルコによる福音書12章28節~34節
「さて、この議論を聞いていた律法学者の一人は、イエスの巧みな答えぶりを見て、進み出て尋ねた、『すべての掟のうちで、どれが第一の掟ですか』。イエスはお答えになった、『第一の掟はこれである、《イスラエルよ、聞け。わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ》。第二の掟はこれである、《隣人をあなた自身のように愛せよ》」。この二つの掟よりも大事な掟はない』。そこで、その律法学者は言った、『先生、確かにそうです。主は唯一であり、主のほかに神はないとは、実に立派なお答えです。また、心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして、神を愛すること、および隣人を自分自身のように愛することは、どんな焼き尽くす献(ささ)げ物(もの)や犠牲(いけにえ)よりも、遥(はる)かに優れています』。イエスは、その律法学者の賢い受け答えを見て、仰せになった、『あなたは神の国から遠くない』。それ以後は、誰(だれ)もイエスにあえて尋ねようとしなかった」

マルコ12章31節の「第二の掟」つまり隣人愛の掟は、レビ記19章18節に書かれているものである。ただし、レビ記19章には、隣人愛とは反対の行為についても、具体的に書かれている。

◯レビ記19章16節~18節
「お前の身内を歩き回って、人を中傷してはならない。お前の隣人の命に関わるような偽証をしてはならない。わたしは主である」
「心のうちでお前の兄弟を憎んではならない。必要なら同胞を戒(いまし)めなければならない。そうすれば、彼のことで罪を負うことはないであろう。復讐(ふくしゅう)してはならない。お前の民の子らに恨みを抱いてはならない。お前の隣人をお前自身のように愛さなければならない。わたしは主である」

主イエス・キリストがマタイ22章で言及された隣人愛の掟(39節)は、このレビ記19章18節を引用されたものであるが、レビ記の同じ章には「中傷」「偽証」「心のうちで憎む」「復讐」「恨み」など、隣人愛の反対に該当する事柄が色々と列挙されている。

◯ローマの人々への手紙12章19節
「愛するみなさん、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。『主は仰せになる。<復讐はわたしのすること、わたしが報復する>』と書かれているからです」

◯マタイによる福音書19章17節~19節
「イエスは仰せになった、『なぜ、善いことについてわたしに尋ねるのか。善い方はただおひとりである。もし命に入りたいなら、掟を守りなさい』。彼が『どの掟ですか』と聞くと、イエスはお答えになった、『殺してはならない。姦淫(かんいん)してはならない。盗んではならない。偽証してはならない。父母を敬いなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい』」

◯申命記27章24節
「『ひそかに隣人を打ち殺す者は呪(のろ)われる』。民はみな『アーメン』と言いなさい」

◯マタイによる福音書5章21節~24節
「あなた方も聞いている通り、昔の人々は、『殺してはならない。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられていた。しかし、わたしはあなた方に言っておく。兄弟に対して怒る者はみな裁きを受ける。また兄弟に『ばか者』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に落とされる」
「祭壇に供え物をささげる時、兄弟があなたに恨みを抱いているのを思い出したなら、供え物を祭壇の前に置き、行って、まず兄弟と和解しなさい。それから戻ってきて、供え物をささげなさい」

なぜ、「兄弟に対して怒る者はみな裁きを受ける」のか、それはルカ福音書6章36節で「あなた方の父が憐れみ深いように、あなた方も憐れみ深い者となりなさい」と主イエス・キリストが教えられているからである。

◯ルカによる福音書6章34節~36節
「返してくれるあてのある人に貸したからといって、何の恵みがあるだろうか。返してもらえるのなら、罪人でさえ罪人に貸している。しかし、あなた方はあなた方の敵を愛しなさい。人に善を行いなさい。また、何もあてにしないで貸しなさい。そうすれば、あなた方の報いは大きく、あなた方は、いと高き方の子らとなる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深い方だからである。あなた方の父が憐れみ深いように、あなた方も憐れみ深い者となりなさい」

◯ローマの人々への手紙13章8節~10節
「互いに愛し合うことのほかに、誰(だれ)に対しても負い目があってはなりません。他人を愛する者は、律法を完全に果たしているのです。『姦通してはならない。殺してはならない。盗んではならない。貪(むさぼ)ってはならない』など、また、ほかに何か掟があっても、それは、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます。愛は隣人に悪を行いません。したがって、愛は律法を完全に果たすものです」

10節では、当然のことではあるが隣人に対して悪を行うことが隣人愛の反対に該当すると、示唆されている。

◯ヨハネの第一の手紙3章11節~12節、15節
「わたしたちは互いに愛すべきであるということ、これこそ、あなた方が初めから聞いている教えです。カインのようになってはなりません。彼は悪い者に属し、兄弟を殺しました。なぜ兄弟を殺したのでしょう。それは、彼の行いが悪く、兄弟の行いが正しかったからです」
「兄弟を憎む人はみな、人殺しです。あなた方も知っているように、すべて人殺しのうちには、永遠の命は留まりません」

【3】主イエス・キリストがお与えになる「新しい掟」:神への愛とは、神の掟を守ること

◯ヨハネによる福音書13章34節~35節
「わたしは新しい掟をあなた方に与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うなら、それによって人はみな、あなた方がわたしの弟子であることを、認めるようになる」

◯ヨハネによる福音書14章21節
「わたしの掟を自分のものとし、それを守る人、その人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛し、わたし自身をその人に現す」

◯ヨハネによる福音書15章9節~10節、12節、14節、17節
「父がわたしを愛してくださったように、わたしもあなた方を愛してきた。わたしの愛のうちに留まりなさい。あなた方がわたしの掟を守るなら、わたしの愛のうちに留まることになる。わたしが父の掟を守って、その愛のうちに留まっているのと同じである」
「わたしがあなた方を愛したように、あなた方が互いに愛し合うこと、これがわたしの掟である」
「わたしが命じることを行うなら、あなた方はわたしの友である」
「あなた方が互いに愛し合うこと、これをわたしはあなた方に命じる」

主イエス・キリストの「新しい掟」については、ヨハネ福音書以外でも説明されており、また「新しい掟」に反するものがどんなことであるかも、随所で説明されている。

◯ヨハネの第一の手紙2章3節~4節
「もしわたしたちが神の掟を守るなら、そのことにおいて、わたしたちは神を知っていることが分かります。神を知っていると言いながら、その掟を守らない人は、偽り者であり、その人の中に真理はありません」

◯ヨハネの第一の手紙5章3節
「神への愛とは、神の掟を守ることです。そして、その掟は難しいものではありません」

◯ローマの人々への手紙12章9節、14節、17節、21節
「愛には偽りがあってはなりません。悪を忌み嫌い、善から離れてはなりません」
「あなた方を迫害する者の上に祝福を願いなさい。祝福を願うのであって、呪(のろ)いを求めてはなりません」
「誰(だれ)に対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善いことを行うよう心がけなさい」
「悪に負けてはなりません。むしろ善をもって悪に勝ちなさい」

◯ヨハネの第一の手紙2章9節~11節
「光の中にいると言いながら、自分の兄弟を憎む人は、今もなお闇の中にいるのです。兄弟を愛する人は、光の中に留(とど)まっており、つまずくことがありません。自分の兄弟を憎む人は、闇の中におり、闇の中を歩み、自分がどこに行くのか知りません。闇が彼の目を見えなくしたからです」

◯テモテへの第二の手紙3章1節~5節
「終わりの日には、困難な時が来ます。このことを悟りなさい。その時、人々は自分だけを愛し、金銭を貪(むさぼ)り、大言壮語し、高ぶり、ののしり、親に逆らい、恩を忘れ、神を汚(けが)すものとなるでしょう。また、非人情で、人と和解せず、中傷し、節度がなく、狂暴で善を好まないものとなり、人を裏切り、無謀で、驕(おご)り高ぶり、神よりも快楽を愛し、上辺(うわべ)は信心に熱心に見えるが、実際は信心の力を否定するものとなるでしょう。このような人々を避けなさい」

◯ローマの人々への手紙1章28節~32節
「彼らは、神を深く知ることに価値を認めなかったので、神は彼らを価値のない考えのままに任せられました。そこで彼らはしてはならないことをしています。彼らはあらゆる邪(よこしま)なことと悪と貪欲(どんよく)と悪意に満ち、妬(ねた)みと殺意と争いと欺きと敵意に溢(あふ)れ、陰口を言い、謗(そし)り、神を憎み、人を侮り、高ぶり、自慢し、悪事を編み出し、親不孝で、弁(わきま)えがなく、約束を守らず、薄情で、無慈悲です。こういう者たちは死に値するという神の定めを、彼らはよく知りながら、自ら行うばかりでなく、そのようなことを行う人たちに賛同しています」

◯ガラテヤの人々への手紙5章19節~21節
「肉の業は明らかです。すなわち、姦淫、猥褻(わいせつ)、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間割れ、妬み、泥酔、度外れた遊興、その他このたぐいです。前にも警告したように、改めてあなた方に警告します。このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません」

【4】あなた方の父が憐れみ深いように、あなた方も憐れみ深い者となりなさい

◯テサロニケの人々への第一の手紙5章15節
「誰も悪に悪を返すことがないようによく注意し、互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うよう励みなさい」

◯ペトロの第一の手紙3章9節
「悪をもって悪に、ののしりをもってののしりに報いてはなりません。かえって、祝福をもって報いなさい。あなた方は祝福を受け継ぐために召されたのです」

◯箴言20章22節
「『悪に報いてやろう』と言ってはならない。主を待ち望め。主がお前を救ってくださる」

◯箴言24章29節
「『彼がわたしにしたように、わたしも彼にしよう。わたしは誰にでも、その行いに応じて仕返しをしよう』と言うな」

◯コロサイの人々への手紙3章8節~9節
「しかし、今はもう、これらすべてのこと、すなわち怒り、憤(いきどお)り、悪意を捨て去り、ののしりや顔を赤らめるような言葉を口にしてはなりません」

◯エフェソの人々への手紙4章31節
「すべての苦々しい思い、憤り、怒り、刺々(とげとげ)しい声、ののしりを、すべての悪意と共に除き去りなさい」

◯マタイによる福音書5章43節~45節、48節【再掲】
「あなた方も聞いているとおり、『あなたの隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、あなた方に言っておく。あなたの敵を愛し、あなた方を迫害する者のために祈りなさい。それは、天におられる父の子となるためである。天の父は、悪人の上にも善人の上にも太陽を昇らせ、正しい者の上にも正しくない者の上にも雨を降らせて下さるからである」
「だから、天の父が完全であるように、あなた方も完全な者となりなさい」

◯ペトロの第一の手紙1章14節~16節
「かつて無知であった時のいろいろな欲望に従わず、素直な子供のように、あなた方を召された聖なる方に倣って、あなた方自身もあらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。聖書に、『わたしは聖なる者である。あなた方も聖なる者となりなさい』と書かれています」

「わたしは聖なる者である。あなた方も聖なる者となりなさい」は、レビ記19章2節からの引用である。

◯マタイによる福音書18章7節
「人をつまずかせるこの世は不幸である。つまずきは避けられない。しかし、人をつまずかせる者は不幸である」

◯マタイによる福音書24章10節、12節
「その時、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合う」
「悪がはびこるので、多くの人の愛が冷える」

◯ローマの人々への手紙14章13節
「したがって、もはや互いに裁き合わないようにしましょう。むしろ、妨げになるものや、つまずきになるものを、兄弟に対して置かないよう決心しなさい」

◯ルカによる福音書6章37節~38節
「裁いてはならない。そうすれば、あなた方も裁かれない。人を罪に定めてはならない。そうすれば、あなた方も罪に定められない。赦(ゆる)しなさい。そうすれば、あなた方も赦される。与えなさい。そうすれば、あなた方にも与えられる。押し入れ、揺さぶり、溢(あふ)れるほど升(ます)の量りをよくして、あなた方のふところに入れてもらえる。あなた方が量るその升で、あなた方も量り返されるからである」

◯マタイによる福音書7章1節~2節【再掲】
「裁いてはならない。裁かれないためである。あなた方が人を裁くように、あなた方は裁かれ、あなた方が量るその升(ます)で、あなた方にも量り与えられる」

◯ヤコブの手紙4章11節~12節
「兄弟たちよ、互いに悪口を言い合ってはなりません。兄弟の悪口を言ったり、裁いたりする者は、律法の悪口を言ったり、律法を裁いたりすることになります。もしあなたが律法を裁くなら、あなたは律法の実践者ではなくて、律法の裁き手です。律法を定め、かつ裁く方は、ただおひとりであり、その方は救うことも、滅ぼすこともおできになるのです。隣人を裁くあなたは、いったい何者なのですか」

◯ペトロの第一の手紙2章1節~2節
「それ故、あらゆる悪意、あらゆる偽り、偽善、妬み、一切の悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、み言葉である清い乳を切に求めなさい。それによって、あなた方が成長し、救いに至るためです」

◯コリントの人々への第一の手紙14章20節
「兄弟たち、ものの判断においてあなた方は子供であってはなりません。悪事については幼い子供のように純真でありなさい。しかし、ものを判断することにおいては一人前の者となりなさい」

◯ヤコブの手紙1章19節~21節
「わたしの愛する兄弟たちよ、心に留めておきなさい。人はみな、聞くに早く、語るに遅く、怒るにも遅くなければなりません。人の怒りは、神の義を実現するものではありません。ですから、あらゆる汚れや溢れ出る悪を捨てて、あなた方の心に植えつけられたみ言葉を素直に受け入れなさい。み言葉には、あなた方の魂を救う力があります」

◯マタイによる福音書15章11節、17節~20節
「口に入るものが人を汚(けが)すのではない。口から出るものが人を汚すのである」
「口に入るものはみな腹に入り、厠(かわや)に落ちることが分からないのか。しかし、口から出てくるものは、心から出てくるもので、これが人を汚す。悪い考えや、殺人、不品行、盗み、偽証、冒瀆(ぼうとく)は、心から出てくる。これこそが人を汚す。手を洗わずに食べることは人を汚さない」

主イエス・キリストの御言葉をレビ記19章と関連付けて比較すると、この箇所で主は神への愛と隣人愛の反対に該当する事柄について全般的にお話しになられていると、理解できる。

◯マルコによる福音書7章14節~15節、20節~23節
「それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて仰せになった、『みな、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。外から人の中に入るもので、人を汚すことのできるものは何一つない。人の中から出てくるものが人を汚すのである』」
「さらにまた仰せになった、『人から出てくるもの、それが人を汚すのである。内部、すなわち人の心の中から邪念が出る。姦淫、盗み、殺人、姦通、貪欲、悪行、詐欺(さぎ)、卑猥(ひわい)、妬み、謗り、高慢、愚かさなど、これらの悪はすべて内部から出て、人を汚すのである」

フランシスコ会聖書研究所訳では21節で「邪念」と表現されている原文のギリシア語は、新共同訳では「悪い思い」、バルバロ訳(講談社)「悪い考え」、ラゲ訳(中央出版社)「悪念」などとそれぞれ表現されている。ここでも同じく、主は神への愛と隣人愛の反対に該当する事柄について全般的にお話しになられている。

◯詩編50(49)編16節~19節
「しかし、神は悪い者に仰せになる、『なぜ、お前はわたしの掟を言い立て、わたしの契約を口にするのか。お前は戒めを嫌い、わたしの言葉を捨て去ったのに。お前は盗人を見れば競い合い、姦通を行う者の仲間となった。口で悪を紡ぎ出し、舌で欺きを織りなす。座して兄弟の悪口を言い、母の子のうわさをまき散らす」

◯ルカによる福音書6章45節
「善い人は、心にある善い倉から善い物を出し、悪い人は、心にある悪い倉から悪い物を出す。口は心に溢れることを語るものである」

◯マタイによる福音書12章33節~35節
「木が善ければその実も善く、木が悪ければその実も悪いと思いなさい。木はその実によって分かる。蝮(まむし)の子らよ、悪人でありながら、どうしてお前たちが善いことを語ることができるのか。口は心に溢れることを語るものである。善い人は、善い物を入れた倉から善い物を取り出し、悪い人は悪い物を入れた倉から悪い物を取り出す」

◯ヨハネの第一の手紙4章16節
「わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知っており、また、信じているのです」
「神は愛です。愛のうちに留まる人は、神のうちに留まり、神もまた、その人のうちに留まっておられます」

◯ヨハネの第一の手紙4章19節~21節【再掲】
「わたしたちが愛するのは、神がまず、わたしたちを愛してくださったからです。『神を愛している』と言いながら、自分の兄弟を憎むなら、その人は嘘(うそ)つきです。目に見える自分の兄弟を愛さない人は、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は、自分の兄弟をも愛さなければなりません。これが、わたしたちが神から受けた掟です」

◯トビト記4章15節
「お前自身が嫌うことを他人にしてはならない」

新共同訳では「自分が嫌(いや)なことは、ほかのだれにもしてはならない」。講談社バルバロ訳(『トビアの書』)では「おまえのしてもらいたくないことは、他人にもするな」。

◯ルカによる福音書6章31節
「あなた方は、人からしてほしいことを、人にもしなさい」

◯マタイによる福音書7章12節
「だから、何事(なにごと)につけ、人にしてもらいたいと思うことを、人にもしてあげなさい。これが律法と預言者の教えである」

◯ルカによる福音書6章34節~36節【再掲】
「返してくれるあてのある人に貸したからといって、何の恵みがあるだろうか。返してもらえるのなら、罪人(つみびと)でさえ罪人に貸している。しかし、あなた方はあなた方の敵を愛しなさい。人に善を行いなさい。また、何もあてにしないで貸しなさい。そうすれば、あなた方の報いは大きく、あなた方は、いと高き者の子らとなる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深い方だからである。あなた方の父が憐れみ深いように、あなた方も憐れみ深い者となりなさい」

この箇所の少し前には、以下のような箇所がある。

◯ルカによる福音書6章27節~30節
「しかし、わたしは耳を傾けているあなた方に言う。敵を愛し、あなた方を憎む者に善を行いなさい。呪う者を祝福し、あなた方を侮辱する者のために祈りなさい。あなたの頬(ほお)を打つ者に、もう一方の頬を向けなさい。上着を奪う者には、下着をも拒んではならない。求める者には誰(だれ)にでも与えなさい。あなたの持ち物を奪おうとする者から、取り戻そうとしてはならない」

ルカ福音書6章のこの箇所の教えこそ、レビ記19章2節の「律法」の「成就」(マタイ5章17節)「実現」(同18節)と言える。

◯レビ記19章2節【再掲】
「イスラエルの子らの全会衆に告げよ、『お前たちの神、主であるわたしは聖であるから、お前たちも聖でなければならない』」

◯マタイによる福音書5章17節~18節【再掲】
「あなた方は、わたしが律法や預言者たちを廃止するために来たと思ってはならない。廃止するためではなく、成就するために来たのだ。あなた方に言っておく。天地の続くかぎり、律法の一点一画も消(き)え失(う)せることはなく、ことごとく実現するであろう」

◯マルコによる福音書14章65節
「ある者たちはイエスにつばを吐きかけ、また目隠しをして、こぶしで打ち、『言い当ててみろ』と言い出した。下役たちも寄ってたかって平手打ちにした」

◯マタイによる福音書26章67節~68節
「そして、人々はイエスの顔につばを吐きかけ、こぶしで殴り、またある者は平手で打って言った、メシアよ、お前を打ったのは誰か、言い当ててみろ」

◯マタイによる福音書5章38節~42節
「あなた方も聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしはあなた方に言っておく。悪人に逆らってはならない。右の頬(ほお)を打つ者には、ほかの頬も向けなさい。また、あなたを訴えて下着を取り上げようとする者には、上着をも取らせなさい。無理にも一ミリオンを歩かせようとする者とは、一緒に二ミリオン歩きなさい。あなたから借りようとする者に背を向けてはならない」

マタイ福音書5章のこの箇所の教えこそ、レビ記19章2節の「律法」の「成就」(マタイ5章17節)「実現」(同18節)と言える。

◯マタイによる福音書27章27節~30節
「さて、総督の兵士たちはイエスを総督官邸に連れていき、部隊の全員をイエスの周りに集めた。そして、イエスの着ている物をはぎ取って、赤いマントを着せ、茨(いばら)で冠を編み、頭にかぶせ、また右手に葦(あし)の棒を持たせて、彼の前にひざまずき、『ユダヤ人の王さま、万歳』と言って、なぶりものにした。さらに、イエスにつばを吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭を打った」

◯マルコによる福音書15章16節~19節
「すると兵士たちはイエスを中庭、すなわち総督官邸の中庭に連れていき、舞台の全員を呼び集めた。そして、兵士たちはイエスに深紅のマントを着せ、茨の冠を編んでかぶせ、『ユダヤ人の王、万歳』と言って、敬礼した。また、葦の棒で頭をたたいたり、つばを吐きかけたり、ひざまずいて拝んだりした」

◯ヨハネによる福音書19章1節~3節
「そこでピラトはイエスを連れていかせ、鞭(むち)で打たせた。兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭にかぶせ、深紅のマントを着せた。そして、そばに歩み寄っては平手で打って言った、『ユダヤ人の王、万歳』」

◯ヨハネの第一の手紙3章11節~12節、15節【再掲】
「わたしたちは互いに愛すべきであるということ、これこそ、あなた方が初めから聞いている教えです。カインのようになってはなりません。彼は悪い者に属し、兄弟を殺しました。なぜ兄弟を殺したのでしょう。それは、彼の行いが悪く、兄弟の行いが正しかったからです」
「兄弟を憎む人はみな、人殺しです。あなた方も知っているように、すべて人殺しのうちには、永遠の命は留(とど)まりません」

◯マタイによる福音書5章21節~24節【再掲】
「あなた方も聞いている通り、昔の人々は、『殺してはならない。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられていた。しかし、わたしはあなた方に言っておく。兄弟に対して怒る者はみな裁きを受ける。また兄弟に『ばか者』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に落とされる」
「祭壇に供え物をささげる時、兄弟があなたに恨みを抱いているのを思い出したなら、供え物を祭壇の前に置き、行って、まず兄弟と和解しなさい。それから戻ってきて、供え物をささげなさい」

◯ペトロの第一の手紙1章14節~16節【再掲】
「かつて無知であった時のいろいろな欲望に従わず、素直な子供のように、あなた方を召された聖なる方に倣って、あなた方自身もあらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。聖書に、『わたしは聖なる者である。あなた方も聖なる者となりなさい』と書かれています」

◯使徒言行録7章54節~60節
「これを聞いた人々は心の中で激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。しかし、聖霊に満たされて天をじっと見つめていたステファノは、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスを見た。そこで、彼は言った、「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見える』。人々は大声で叫びながら耳を覆い、ステファノを目がけて一斉に襲いかかり、彼を町の外に引き出して、石を投げつけた。証人たちは、自分たちの上着を、サウロという若者の足元に置いた。彼らが石を投げつけている間、ステファノは、『主イエス、わたしの霊をお受けください』と言った。そして、ひざまずいて、大声で、『主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないでください』と叫んだ。こう言って、彼は眠りに就いた」

(注)別エントリー「予備的考察:『千年王国』か永遠の生命か」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/3297