ルカ10章24節で主イエスは弟子たちに「今あなたたちが目にしているものを多くの預言者たちが目にしたいと思っていたが、実際に見ることは、なかった」と仰せになった。旧約の預言者たちが見たものはあくまでも、いわば「予告編」に過ぎなかったが、弟子たちが実際に見ているものは「本編」である。
(注)別エントリー「試論:旧約聖書の意義を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9840
(注)別エントリー「試論:旧約聖書を調べる意味を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6950
【追記】
主イエスは同じ節で、預言者たちの他に「王たち」にも言及されている。サムエル記下7章16節と歴代誌上17章11節以下でダビデが預言を受けてから後、ダビデ王家の王たちは自分たちの中からいつか救い主が現れることを意識していた。それは長い紆余曲折を経て主イエス・キリストにおいて実現した。
(注)別エントリー「試論:『なぜダビデの子なのか』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13127
(注)別エントリー「主イエス・キリストがインマヌエルである理由」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1338