試論:マタイ9章3節を140文字以内で

古代のイスラエルでは、イザヤ6章10節にもある通り、神なる主の罪の赦しと癒しとはしばしば同一視された。もしイエスが「あなたの罪は赦された」(マタイ9章2節)と口にしながら癒しを伴っていなければ、確かにその言葉は冒瀆に終わる。しかしイエスの言葉には結果(7節)が歴として伴っていた。

(注)別エントリー「試論:『主にとって赦しも癒し』を140文字以内で」も参照のこと。
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