試論:「魚を焼いて待つ神」を140文字以内で

御復活の後に主イエスはヨハネ21章で、暗い時間から漁に出た弟子たちのことを、陸で魚を焼きながら朝食の準備をしてお待ちになっていた。御自分が「仕えられるためではなく、仕えるために来た」(マタイ20章28節)という事柄を、主はこのような経験を通して、弟子たちの心に深く刻み付けられた。

(注)別エントリー「試論:『救い主の母であること』を140文字以内で」も参照のこと。
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