試論:「自分自身の苦しみ」を140文字以内で

主はマルコ7章11節以下で、他人に犠牲を払わせた上での供え物などは神の思し召しに沿わないと教えられた。もし苦しみを神にささげるならそれは各自、自分自身の苦しみだけであるべきで、主は決して「わたしの両隣の十字架で苦しむ覚悟のある者はだれか」などと弟子たちに詰問したりはされなかった。

(注)別エントリー「試論:キリスト者の日々の十字架を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7590