夢に現れた天使から婚約者の妊娠に関して心配するには及ばないと告げられ、一旦ヨセフは安堵しても別の不安がすぐ生じたはずである。
「誰が主の御旨を知り誰が主に教えるというのか?」
(一コリント2章16節、イザヤ40章13節)。
ヨセフが課せられた重責から逃げなかったことだけは、確かである。
(注)別エントリー「試論:『マリアとヨセフは別格』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5928
(注)別エントリー「試論:聖母と聖ヨセフの終生童貞を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6397
(注)別エントリー「予備的考察:聖母崇敬そして聖ヨセフ崇敬の起源とは」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1750
【追記】
モーセに比肩する預言者とみなされたエリヤでさえ、王妃イゼベルに殺されそうになった(列王記上19章)際は、恐れをなして荒れ野に逃げ、自分の任務を放棄しようとしたが、主の養父ヨセフはヘロデ王が幼子を殺そうとした際も、自分の任務を放棄することなく、エジプトへ幼子とその母を連れて逃れた。