試論:「大荒れの湖と主の足跡」を140文字以内で

マルコ6章45節以下では主イエスが大荒れの湖の上を歩いて弟子たちの舟に辿り着かれ、幽霊と思った弟子たちが怯えたと記す。関連して詩編77編20(19)節は「神なる主よ、あなたは海の大水の上も道として通って行かれるが、あなたの足跡(行動と秘められた動機)を認識する者はいない」と歌う。

【追記】

主イエスが湖の上をお歩きになった際、弟子たちの中でペトロが最初に自分も歩くと申し出たが、怖くなって沈みかけ、主に助けを求めた。主はペトロをお叱りになったが、すぐに手を伸ばし助けられた。失敗も多かったが、御言葉に真っ先に反応して忠実を示し続けるペトロに、主は御自分の羊を委ねられた。

マタイ14章は、水の上を歩かれる主イエスを見て自分もそうしたいと願い出たペトロが、疑いを抱いて沈みかけ、主が実際に御手を延ばされて救い上げられたと記す。詩編18(17)編17(16)節は「主は高き所より御手を差し延べてわたしをつかまえられ、大水の中から引き上げてくださる」と記す。

主はマルコ4章で弟子たちの前で突風を静められて創造主としての権威の片鱗を示されたが、後にペトロだけは最後に沈みかけたものの湖の上を歩く体験をして主の権威に対する確信を強め、このペトロの確信がマタイ16章16節「あなたは生ける神の子キリスト(メシア)です」の信仰宣言へとつながった。

彼は家庭を持つ漁師で湖の対岸の異邦人とも交流がないほどだったが、大工の男に説得され、その弟子となり、師とともに湖上を歩き、師から一番弟子に指名された。一度は師を見捨てた彼を師は変わらず信頼し、師が去った後も教えを広めるために彼は世界を巡り、世界の都で一粒のからし種として殉教した。

(注)別エントリー「試論:『自分の十字架』とペトロを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/12304