試論:「聖書と漁師」を140文字以内で

主イエスが選ばれた十二使徒の中には、漁師が四人もいたが、エレミヤ16章16節には福音書に対応する預言があるものの聖書全体では漁師に関する記述が驚くほど乏しい。民数記11章5節は「エジプトでは魚がただ」と民の嘆きを記すが一般人でも河川や水路や池から獲り放題だったことを意味している。

【追記】

民数記11章は「エジプトでは魚がただ」と民の不満の声を記す。古代エジプトは砂漠化が進んだ現代の姿と異なり、「主の園」と比較されるほど、「よく潤っていた」(創世記13章10節)。出エジプト8章も「河川、水路、池の上」と記しヘロドトスの記述同様、古代エジプトが肥沃な地だったと物語る。

創世記13章10節は水の豊富な土地の例として「主の園」とエジプトを挙げ、同41章では七年の大豊作がエジプトで続いた後に世界規模の飢饉が到来した際、各国から人々がエジプトに食糧を求めに来た。出エジプト記2章では葦の茂みが言及され、同8章1節では河川・水路・池などの水資源が登場する。

福音書には主の職業はテクトーンとありホメロスの叙事詩ではテクトーンは船大工をも意味した。もしも主が腕の確かな職人として既に漁師の間で知られていたとすれば、故郷で生涯を終えることが多く同業者だけで集まりがちな漁師の中から、すぐ四人の信頼を得て弟子とすることができたのも、道理である。

(注)別エントリー「試論:ペトロの生涯を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/10550