マルコ16章18節「蛇をつかみ」の「蛇」は、創世記3章やシラ21章2節から「極悪な罪人」の比喩である蓋然性が高い一方、ミカ7章17節の「蛇」のように、神である主による奇跡に圧倒されて茫然自失となり、這いつくばって屈服し、ただ恐れおののく「諸国の民」(同16節)の姿の比喩でもある。
【追記】
後にはペトロと並称されるほど初代教会の発展に貢献した使徒パウロも、当初は「サウロ」としてキリストの弟子たちを迫害する側にいたが、使徒言行録9章では自分の周囲を照らす突然の天からの光に圧倒されて地面に倒れ、「なぜ、わたしを迫害するのか。起きて町に入れ」という主からの御声を耳にした。
(注)別エントリー「試論:『使徒パウロ』名前の由来を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9880