試論:マルコ8章「パンの奇跡」を140文字以内で

主イエスは、この時期にはまだガリラヤ湖近辺(22節)で活動されていたが、ガリラヤ湖の岸辺に集まる群衆は徒歩で日帰り出来る近距離ばかりではなく、「イエスのしておられることを残らず聞いて」、片道で数日を要する地域からもはるばるやって来て、「そばに集まって来た」(マルコ3章7節以下)。

【追記】

主イエスはパンを増やし四千人の群衆に食べ物を与えるという奇跡を行われた。類似の奇跡は列王下4章42節以下で「神の人」預言者エリシャも行っていた。主イエスの神の御独り子たる本領は「生まれつき目が見えなかった人の視力を回復させた」(ヨハネ9章32節、イザヤ35章5節)時に発揮された。

(注)別エントリー「試論:『救い主の識別』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13316

主が集まった群衆のためにパンを増やす奇跡を行われたことは有名だが、その少し前に弟子たちが極度の空腹のため安息日に麦畑で穂を摘み直に麦を口にし、ファリサイ派の人々と論争になった。なぜ主は奇跡で弟子たちの空腹を満たそうとはされなかったのか? 「現世利益」目的では奇跡を主は行われない。

(注)別エントリー「試論:『空腹をしのぐ』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/10791