創世記5章22節以下では、エノクが神と共に歩み、その親密さゆえに神が彼を連れて行ったので人々が彼を見ることはなくなったと記す。いかに神とエノクが親密であろうとも、人となられた神の御独り子と、その母との親密さに比べれば、母子関係のそれを超えるはずがない。聖母の被昇天は必然と言える。
(注)別エントリー「試論:『謙遜の極み故の被昇天』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11125
【追記】
主イエスは福音書で「自ら高ぶる者は低くされ、へりくだり自ら低くなる者は高くされる」と繰り返された。神の御独り子の母に選ばれたにも関わらず「わたしは主のはしため」と言い続け、実際「人となられた神」に生涯仕え続けた女性が、「神と共に歩んだ」点においてエノクに引けを取るなどありえない。
(注)別エントリー「試論:『地上の星』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11997