試論:「あなたがヨセフならば」を140文字以内で

年下の妻であるマリアは神の御独り子である幼子イエスの御世話に夢中になっている。その後ろ姿を見ながらヨセフは、なんとかしてイエスよりも自分の方を振り向かせたい、と思うだろうか? それとも、自分もまた神のしもべの一人なのだからマリア一人だけでは足りなければ手伝いたい、と思うだろうか?

(注)別エントリー「試論:『良いことだけを求める』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/16198

【追記】

マタイ福音書は後世への教訓に、最初の二つの章で主の養父ヨセフを模範として掲載した。ヨセフは忍耐強く、情け深く、自慢せず、高ぶらず、礼を失わず、自分の利益を求めず、恨みを抱かず、苛立たず、不義を喜ばず、真理を喜んだ。イエスとマリアのために、全てのことを忍び、確信し、待望し、耐えた。

(注)別エントリー「試論:マリアとヨセフに倣う事柄を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7012