試論:主の忍耐と救いを140文字以内で

ルカ19章9節以下「今日、救いがこの家を訪れた。人の子は、失われたものを捜して救うために来た」二ペトロ3章15節「わたしたちの主の忍耐深さを救いと考えなさい」同9節「主は救いの約束を遅らせているのではなく、一人も滅びずに皆が悔い改めるように、あなたたちのために忍耐されています」。

(注)別エントリー「『罪人を招く』」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/19089

【追記】

エゼキエル18章「わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は仰せになる。彼が悪から立ち帰って生きることを喜ばないだろうか。お前たちが犯し た全ての背きを投げ捨てて新しい心と霊を造り出せ。どうしてお前たちは死んでよいだろうか。お前たちは立ち帰って生きよ。わたしは誰の死も喜ばない」。

(注)別エントリー「キリストの福音は悪意の放棄を要請する」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/3277