【問】「神は霊である」? どういうこと?
【答】古代のヘブライ人は人間に関係する事柄を「肉」、神に関連する事柄を「霊」と呼び対比しました。新約聖書ではヨハネとパウロが好んでこの対比を用い、パウロはガラテヤ5章16節以下で、神に従って生きるとは「霊」の実を神に献げることだと説きます。
(注)別エントリー「試論:『肉と霊』の対比を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:ガラテヤ5章の『肉と霊』を140文字以内で」も参照のこと。
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【追記】
【問】「神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」の意味は?
【答】この場合の「霊」とは、《霊の結ぶ実》とガラテヤ5章22節でパウロが呼ぶ諸徳を指し、「真理」とは、旧約聖書の「まこと」すなわち日本語(漢字)で「真」「実」「信」「誠」と表現される事柄を意味しています。
【問】ヨハネ4章24節「霊と真理をもって礼拝」の意味は?
【答】「真理」とは主イエスのことですが、主は御自分の十字架上のいけにえをもって、モーセの律法のあらゆる献げ物やいけにえに替えられ、御自分の弟子たちには《いけにえではなく憐れみ》の原則に基づき、憐れみの業の実践を要請されます。
(注)別エントリー「試論:『道・真理・命』を140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「『真理(まこと)の神』」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:『いけにえ』と憐れみを140文字以内で」も参照のこと。
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(注)別エントリー「試論:贖(あがな)いを140文字以内で」も参照のこと。
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主イエスはヨハネ14章6節で「真理(アレテイア)」と自称されたが、ギリシア語訳のエレミヤ9章4節は「人は隣人を惑わし、『まこと(アレテイア)』を語らない」であり、エレミヤ9章で「まこと」に対置されているのは姦淫する者・裏切る者・偽り・悪・中傷・惑わし・悪事・欺き・殺し等々である。
(注)別エントリー「試論:真理(まこと)の反対は?を140文字以内で」も参照のこと。
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ヨハネ17章3節「永遠の命とは、唯一のまことの神であるあなた(御父)とあなたが遣わされたイエス・キリストを知ること」一ヨハネ2章4節「神を知っていると言いつつ神の掟を行わぬ人は偽り者で彼にまことはない」マタイ7章12節「他の人からしてもらいことをあなたから他の人に全てしなさい」。
(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』愛の掟を140文字以内で」も参照のこと。
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古代のヘブライ人の世界観に従ってガラテヤ5章は【人間(人間それ自体)】を「肉」、【神〔に由来するもの〕】を「霊」と呼ぶ。ヨハネ3章6節も同様の対比を用い「霊から生まれた者は霊」の意味を、1章12節は「神の御言葉である主イエスは自分を受け入れる人に神の子となる資格を与えた」と記す。
(注)別エントリー「試論:聖書と『肉』を140文字以内で」も参照のこと。
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ガラテヤ5章16節以下では「肉と霊」が対比されるが、ここで「肉」はヨハネ1章14節同様「人間」を指し、「霊」は「聖霊」「神の霊」を意味する。ガラテヤ5章における「肉」と「霊」との対立とは、「人間に由来する諸悪」(マルコ7章20節以下参照)と「神に由来する諸徳」との対立を意味する。
ガラテヤ5章は「肉」と「霊」の対立を記すが、ヨハネ1章同様、パウロは古代のヘブライの世界観に基づき、人間そのものを「肉」と表現して「霊」つまり「神の霊」と対比する。近代人は「肉と霊」という表現から「〔人間の〕肉体と〔人間の〕霊魂の対立」をイメージしがちだが、パウロの意図は異なる。