主イエスはヨハネ14章6節で「真理(アレテイア)」と自称されたが、ギリシア語訳のエレミヤ9章4節は「人は隣人を惑わし、『まこと(アレテイア)』を語らない」であり、エレミヤ9章で「まこと」に対置されているのは姦淫する者・裏切る者・偽り・悪・中傷・惑わし・悪事・欺き・殺し等々である。
【追記】
主イエスは「わたしは真理」と自称されたが、ギリシア語本文で「真理」に当たる語はアレテイアである。古代のギリシア語訳旧約聖書でもアレテイアは数多く登場するが、日本語訳旧約聖書ではそれに当たる表現は、「まこと」である場合が多い。詩編40編12(11)節「慈しみとまことによって」等々。
(注)別エントリー「試論:『道・真理・命』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11332
(注)別エントリー「試論:『まこと(=真理)の神』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8706
古代よりヨハネ福音書には「信仰」を意味するギリシア語が登場しないことが知られていた。その替わりヨハネ福音書は「真理」を意味するギリシア語アレテイアを多用する。主イエスはピラトの問いに対し御自分のことを王だとも神だともお答えにならず、ただ「真理」すなわち信頼すべき者だと宣言された。
エレミヤ10章10節は「主は真理の神」と記すがこの章では、自分では言葉を話せない偶像の神々と違い、イスラエルの神である主は御自ら、御言葉を発せられて真正な御教えを御自分の民にお話しになられる(申命記5章22節以下)という事柄を要約する表現として、「真理〔の神〕」が用いられている。
「真理(ギリシア語本文でアレテイア)とは何か」(ヨハネ18章38節)の答えをマルコ12章32節は「神は唯一で他に神はない」ことがアレテイアとし、主はこれを「適切な答え」とされた(34節)。ヨハネ14章6節「わたしこそが道、真理、命」10章30節「わたしと父とは唯一のものである」。
(注)別エントリー「試論:『御父と御子』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7544
(注)別エントリー「試論:ヨハネ1章1節を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5851
(注)別エントリー「試論:ヨハネ14章6節の『道』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9342
(注)別エントリー「試論:真理は何から自由にする?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/8886