【問】世間では、既婚者や恋人のいる異性を奪い取る行為を「略奪愛」と呼んだりします。これはキリスト教の愛に含まれますか?
【答】いいえ、全く含まれません。キリスト教の愛の定義は「他の人からしてもらいたいことなら全てあなたから他の人にしなさい」で、これと「略奪愛」は絶対に相容れません。
(注)別エントリー「試論:『愛』と『愛の反対』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/12199
【追記】
A.他人からしてもらいたいことを他人に行う(マタイ7章12節)。
B.他人からしてもらいたいことを他人に行わない。
C.他人からしてもらいたくないことを他人に行う。
D.他人からしてもらいたくないことを他人に行わない(トビト4章15節)。
「愛」はAとDであり「愛の反対」はBとCである。
(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』愛の掟を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11291
(注)別エントリー「試論:『キリストの律法』って?を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/11541
ローマ13章10節は「愛は隣人に悪を行わない」と記す。これに従えば「愛の反対」とは「隣人に悪を行うこと」である。マタイ7章21節以下「わたしを『主よ、主よ』と呼ぶ者が皆、天の国に入るわけではない」「不法を働く者どもよ、わたしから離れ去れ。わたしはお前たちのことなど全く知らない」。
(注)別エントリー「試論:『愛』(キリストの律法)を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/13665
(注)別エントリー「試論:ローマ13章『愛の反対』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/16049
主イエスはマタイ7章12節で「あなたたちは、自分が他の人からしてほしいことを、自分から他の人にしなさい」と《愛の掟》を教えられた。従って「愛の反対」は「他の人からしてほしくないことをあえて他の人に行うこと」そして「他の人からしてほしいことをあえて他の人には行わないこと」からなる。
(注)別エントリー「悪意の放棄なしに永遠の命を得る道はない」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4884
(注)別エントリー「隣人愛の反対は理由なき悪意そして憎しみ」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/1982