試論:「飼い主のいない羊」を140文字以内で

マルコ6章34節は大勢の群衆が「飼い主のいない羊」のようだったので主が憐れまれたと記す。ゼカリヤ10章2節は、無内容で大概な「啓示」の連続に神を求める人々が困惑して「人々は羊のようにさまよい羊飼いがいないので苦しむ」と預言し、3節「わたしの怒りは羊飼いたちに対して燃える」へ続く。

(注)別エントリー「試論:主イエスと旧約聖書の預言を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7462

(注)別エントリー「試論:旧約聖書の預言を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/4783

【追記】

二ペトロ2章は「偽教師」への警戒を呼びかける。彼らは「滅びをもたらす異端を持ち込み、主を拒む」(1節)、「欲が深く虚言で人々を食い物にする」(3節)、「厚かましく、わがまま」(10節)「昼間から歓楽にふけるのを愉しみとする」(13節)「無意味な大言壮語」(18節)等の特徴を持つ。

(注)別エントリー「試論:神の国の到来と『主の日』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5578

(注)別エントリー「試論:旧約聖書の意義を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/9840