マタイ1章10節で主の系図にあるマナセは、賢君だった父とは正反対の、歴代でも最悪級の暗君の一人だった。国は乱れ、そこに乗じたアッシリアの侵略を受け、マナセはバビロンへ足枷付きの状態で連行されたが、今の自分の惨めな境遇は全て自分自身の悪が原因だと気づき主に立ち帰って帰国を許された。
(注)別エントリー「試論:『バビロンへの連行』を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5695
【追記】
「わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は仰せになる。彼が悪から立ち帰って生きることを喜ばないだろうか」「お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ」「どうしてお前たちは死んでよいだろうか。お前たちは立ち帰って、生きよ。わたしは誰の死も喜ばない」。
(注)別エントリー「試論:エゼキエル18章を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/5726