エリヤは王妃イゼベルに命を狙われていると知り、使命を放棄してホレブ山に逃げ、そこで天使に助けられた。ヨセフはヘロデ王がイエスの命を狙っていると知り幼子と幼子の母を連れてエジプトへ逃れた。天使はヨセフの夢に現れるという形で助けたものの第一義的に幼子を守ったのはヨセフとマリアである。
(注)別エントリー「試論:エリヤとヨセフを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/6005
【追記】
マタイ1章19節のギリシア語本文は、主イエスの養父ヨセフを「ディカイオス(義人、正しい人)」と記す。これは、古代のギリシア語訳創世記6章9節のノアに対する表現と同じで、ヨセフがノア同様に「神に従う忠実さの点で《救い》を担うに足る、その時代で随一の信頼できる男性」という意味である。
(注)別エントリー「試論:ノアとヨセフを140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7129
主イエスの養父ヨセフはマタイ1章19節で「正しい人」と呼ばれるが、25章の「最後の審判」においては「正しい人」は永遠の命が確約された人である。ルカ1章42節でマリアは「女の中で祝福された方」と呼ばれるが、マタイ25章34節では「祝福された人」は同じく永遠の命が確約された人である。
(注)別エントリー「試論:マリアとヨセフに倣う事柄を140文字以内で」も参照のこと。
http://josephology.me/app-def/S-102/wordpress/archives/7012